映画スタッフとして
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「ウォルター・マーチ」の記事における「映画スタッフとして」の解説
1967年に南カリフォルニア大学を卒業したマーチは、友人のマシュー・ロビンスの後釜としてエンサイクロペディア・ブリタニカ・エデュケーションフィルム社に雑用係と大道具として採用され、のち編集を担当することになった。そこを退職したマーチはしばらくフリーランスとなり、コマーシャルフィルムの編集に携わったりした。1968年12月にルーカスの紹介により、コッポラの監督第五作目である『雨のなかの女』の映画製作に音響技師として参加することになった。この作品が、マーチの名前が正式にクレジットされた最初の商業映画である。 その後マーチはコッポラやルーカスと共に映画制作スタジオであるアメリカン・ゾエトロープの設立に関与、その中心メンバーとして活躍する。1970年代には『THX 1138』(1971年)、『アメリカン・グラフィティ』(1973年)、『カンバセーション…盗聴…』(1974年)、『ゴッドファーザー PART II』(1974年)など、多くのコッポラやルーカス監督作品で音響技師を勤め上げた。特に『カンバセーション…盗聴…』では、マーチは映画の音響のみならず編集作業(編集監督としてクレジット)にも携わることになった。この作品の完成に果たしたマーチの役割は非常に大きなものであり、映画評論家のピーター・コーウィーが彼のことを映画の共同製作者と呼ぶほどであった。 1979年に公開された『地獄の黙示録』でも、マーチは映画の音響技師兼編集技師として製作に参加した。この作品でマーチはマルチトラックレコーダーを駆使して映画のサウンドトラックを録音、映画製作に多重録音を導入した先駆者の一人となった。その卓越した業績を評価され、マーチは同年度のアカデミー録音賞を受賞した。今日では一般的な「サウンドデザイナー」という職名で映画にクレジットされたのは、『地獄の黙示録』におけるマーチが初めてである。(『雨のなかの女』のサウンドミキシングの際、マーチが組合に所属していなかったため、「サウンドデザイナー」という肩書きを「組合からの苦情逃れのためにでっちあげた」というフランシス・フォード・コッポラの証言もある。) 1985年には『オズの魔法使』の続編である『オズ』で監督デビューを果たすが、作品は商業的に苦戦し、また批評家たちからの評価も芳しくないものだった。後にマーチは自身の孤独を好む性質が、監督業に向いていなかったと述懐している。この作品で監督と脚本を担当したのを最後に、マーチは以前と同じように映画の裏方に専念することになる。公開当時は成功しなかったものの、現在その特異な世界観と美術を再評価する者も居る。 1996年に公開された『イングリッシュ・ペイシェント』では映画の音響と編集作業を担当、同年度のアカデミー賞で編集賞と二度目の録音賞を受賞することになった。この作品でマーチは、Avid Technology社が開発したノンリニア編集ソフトを編集作業で使用している。現在では映画のデジタル編集は一般的なものだが、マーチはコンピューターを用いた編集作業でアカデミー賞を受賞した最初の映画編集者である。 マーチはその後も『リプリー』(1999年)、『K-19』(2002年)、『コールド マウンテン』(2003年)、『ジャーヘッド』(2005年)、『コッポラの胡蝶の夢』(2007年)など、数多くの話題作の製作に携わっている。2007年には映画編集者マーチの思想に迫る長編ドキュメンタリー映画『Murch』が発表された。 2009年、マーチはコッポラの監督最新作である『テトロ 過去を殺した男』の製作に参加。映画の編集と音響を担当している。
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