日米共同開発の決定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:39 UTC 版)
「F-2 (航空機)」の記事における「日米共同開発の決定」の解説
7月に欧州のトーネード IDSが候補から外され、F-15、F-16、F/A-18を改造母体として日米共同で開発することが提案された。9月に提出された防衛庁の委託を受けた航空機・エンジン・電子機器の5社からなる民間企業合同研究会の「共同開発の可能性」についての調査報告は以下のようなものであった。 F-15改造案はステルス性を除いて性能上の問題はないが所要経費が高い。 F-16改造案は開発経費、量産単価ともに安価であるが離陸性能、ステルス性などに性能上の問題がある。 F/A-18改造案は性能上の問題はないが開発経費、量産単価ともに高く、また、艦上機であることからこれを安くする見通しが得られず、また、機体とエンジンの同時開発であることからリスクが大きい。 順位としては F-16 > F-15 > F/A-18 であったと言われる。経費が高いとされたF/A-18であるが、マクドネル・ダグラス (MD) が日本側提案を受け入れ大きな改造範囲を認めたことから、民間企業合同研究会はこれを高く評価しており、一方、F-16はジェネラル・ダイナミクス (GD) が当初提案した双発改造案も引っ込めたうえで、航空自衛隊の双発の要求には事故率の実績を挙げて反発していた。日本側はGDに対し非公式にF-16がF-15とともに候補に残っていること、改造範囲の要求を認めるなら単発機であっても採用しうることを伝え、これに対し機首再設計、複合材料の使用、アビオニクスの日本製機器の搭載を認める回答があった。 10月2日、ワシントンD.C.で開かれた栗原防衛庁長官とワインバーガー国防長官の会談では、「改造母機はF-15またはF-16」「いずれのメーカーを採用するか早急に決定する」「そのためにメーカーと国防省担当者を派遣する」ことが合意された。10月12日、13日は国防省とGD担当者が、10月14日、15日にはMD担当者が航空自衛隊と話し合いを持った。17日にも話し合いは継続したが、防衛庁としてはこの時点で採用メーカーは確定していたといわれ、21日に方針を決定した。 10月23日、首相官邸小食堂では「次期支援戦闘機に関する措置」を議題にした安全保障会議が開かれた。この席上で西広防衛局長は検討の経緯について説明した後、「支援戦闘機F-1の後継機FS-Xに関する措置については、日米の優れた技術を結集し、F-16を改造開発したい」と結んだ。出席した閣僚からの質問もほとんど無いまま、中曽根康弘総理大臣の「どうも、ごくろうさんでした」という言葉でこの決定は承認された。中曽根内閣は翌月に退陣して竹下登が総理大臣となり、計画を引き継いだ。 翌1988年(昭和63年)4月1日、航空幕僚監部技術部は「次期支援戦闘機室」を設置した。6月2日には瓦力防衛長官(竹下内閣)とフランク・カールッチ国防長官との会談で、次のような日米共同開発の基本条件が合意された。 計画管理は防衛庁が実施する 主契約者は日本企業 開発費は防衛庁が負担する FS-X開発で得られる技術情報は、全て防衛庁に帰属する 開発プロジェクトのワークシェアは、米側が60% TSC(技術運営委員会)を設置する 11月29日、主契約者を三菱重工業、協力会社を川崎重工業・富士重工業・ジェネラル・ダイナミクス、日米のワークシェアリングは「日本6:アメリカ4」の日本優位とした「日本国防衛庁と合衆国国防省との間のFS-Xウェポン・システムの開発における協力に関する了解事項覚書」(開発MOU)が締結された。なお、ゼネラル・ダイナミクスは、1992年(平成4年)12月に航空機部門をロッキードへ売却したため、同時に協力会社も引き継がれた。さらに、ロッキードは1995年(平成7年)3月にマーティン・マリエッタと合併してロッキード・マーティンとなり、協力会社が引き継がれた。
※この「日米共同開発の決定」の解説は、「F-2 (航空機)」の解説の一部です。
「日米共同開発の決定」を含む「F-2 (航空機)」の記事については、「F-2 (航空機)」の概要を参照ください。
- 日米共同開発の決定のページへのリンク