日本人儒者による注
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 06:35 UTC 版)
論語古義 伊藤仁斎(1627年-1705年)の著。仁斎は『論語』を「最上至極宇宙第一の書」と尊重した。初めは朱子学者であったが、後に反朱子学に立場を変え、孔子・孟子の原義に立ち返る「古義」を標榜した。『論語古義』では、字句の解釈において『論語集注』や『論語大全』を多く用いた上で、内容解釈において朱熹を批判し、自身の解釈を示す。論語二十編中の前半十編を上論として正編、後半十編を下編として続編と考え、以後の学者たちに大きな影響を与えた。 論語徴 荻生徂徠(1666年-1728年)の著。徂徠は朱子学、仁斎学を論駁し、古代の言語、制度文物の研究を重視する「古文辞学」を標榜した。秦・漢以前の古書に徴して、古語の真の意味を求め、独創的な解釈を施す。日本人の注釈として最も優れているとも評され、上述の劉宝楠(中国語版)『論語正義』にも引用されている。『論語』は先王の道を論じており、孔子の偉大さは、これを後世に伝えたことにあるとする。朱熹を古代の言語を全く知らないと批判し、多くの場合、仁斎をも批判する。 論語示蒙句会解 中村惕斎(1629年 - 1702年)著。惕斎は、本書も含めて「訓蒙書」(女子供向けの解説書)の著者として知られる。なかでも『訓蒙図彙』は、絵入り百科事典として後に多くの類書を生んだ。 論語徴集覧 松平頼寛が徂徠の『論語徴』を軸に歴代の注釈を比較したもの。 論語逢原 懐徳堂学派の中井履軒が集注を批判的に継承したもの。 論語語由 亀井南冥#著書 論語集説 安井息軒(1799年 - 1876年)著。息軒が、何晏の『論語集解』を底本とし、朱熹の集註、仁斎の古義、徂徠の徴、及び清朝の諸家の説を引き、自説を加えたもの。広く諸注を集めていて便利である。 1872年初版刊行。1909年・服部宇之吉の校訂を経て冨山房〈漢文大系〉から再刊。1972年普及版刊行。 論語会箋 竹添井井(1842年 - 1917年)著。朱熹の集註を主とし、「箋日」として、古注の馬融・鄭玄以下の数十家、また日本の仁斎や徂徠以下を引用しながら、自説を記したもの。
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