日本の降伏とソ連の占領とは? わかりやすく解説

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日本の降伏とソ連の占領

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:12 UTC 版)

北方領土問題」の記事における「日本の降伏とソ連の占領」の解説

1945年8月停戦とその後侵攻8月14日日本御前会議において、米・英・中・ソの共同宣言ポツダム宣言)の受諾決定し連合国へ同宣言受諾通告した8月15日日本国内では降伏敗戦国民告げ玉音放送流され日本軍自発的戦闘行動停止したソ連北千島への作戦準備及び実施内示8月25日までに北千島占守島幌筵島温禰古丹島占領するように命じた8月16日日本であった南樺太ソ連侵攻したこの際米ソ合同作戦プロジェクト・フラ」によりアメリカ合衆国米国)で建造され軍艦米軍習熟訓練受けたソ連兵参加しこの後侵攻でも使われた。 8月16日日本大本営から即時停戦命令出たため、日本側の関東軍総司令部停戦と降伏決定8月18日ソ連軍千島列島への侵攻占領開始し北端占守島上陸した占守島の戦い)。ソ連軍は約2万5千人日本軍交戦したが、日本軍司令部命令により交戦中止した8月23日日ソ両軍現地停戦協定締結し日本軍武器ソ連軍引き渡した8月23日スターリンは「国家防衛委員決定 No.9898」に基づき日本軍からの捕虜50万人ソ連内の捕虜収容所移送し強制労働行わせる命令下した。これにより日本人捕虜たちは主にシベリアなどへ労働力としてソ連各地移送隔離されシベリア抑留問題となった8月28日から9月1日までに、ソ連軍千島列島各地駐屯する日本兵武装解除しながら南下続け8月31日までに得撫島占領したソ連軍8月28日択捉島上陸し9月1日には国後島色丹島に、9月3日には歯舞群島上陸した9月5日までにソ連軍択捉島国後島色丹島占領した9月3日から5日にかけてソ連軍歯舞群島占領した。 これら四島占領の際には日本軍組織的戦闘をすでに終了していたため、占領過程死傷者は出なかったとされる9月2日日本は、東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリ甲板において、連合国降伏文書締結した。これにより停戦となった同文書では、連合国側として連合国最高司令官ソ連を含む各国代表署名行い国際的に停戦確認された。既に8月22日千島諸島日本軍戦闘停止していたが、連合国からの指令一般命令第一号」で千島諸島日本軍は「ソヴィエト極東軍最高司令官降伏すべきこととされた。 ソ連当時樺太千島とどまらず北海道本島の北半分占領することを目標としていた。

※この「日本の降伏とソ連の占領」の解説は、「北方領土問題」の解説の一部です。
「日本の降伏とソ連の占領」を含む「北方領土問題」の記事については、「北方領土問題」の概要を参照ください。

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