日本における地蔵信仰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 08:01 UTC 版)
日本においては、浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生の叶わない衆生は、必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まり、地蔵に対して、地獄における責め苦からの救済を欣求するようになった。 姿は出家僧の姿が多く、地獄・餓鬼・修羅など六道をめぐりながら、人々の苦難を身代わりとなり受け救う、代受苦の菩薩とされた。際立って子供の守護尊とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もあり、また小僧姿も多い。 賽の河原で、獄卒に責められる子供を、地蔵菩薩が守る姿は、中世より仏教歌謡「西院河原地蔵和讃」を通じて広く知られるようになり、子供や水子の供養において地蔵信仰を集めた。関西では地蔵盆は子供の祭りとして扱われる。 また道祖神(岐の神)と習合したため、日本全国の路傍で石像が数多く祀られている。交通の便に乏しい時代では大きな仏教寺院へ参詣することができず、簡易な参拝ができる身近な仏像として崇敬を集めた。そのような地蔵に導師が置かれた例は少なく、そのため本来の仏教の教義を離れ、神道との混同や地域の独自の民間信仰の意味合いなども濃くした。 路傍の地蔵尊はさまざまな祈念の対象になり、難治の傷病の治癒を祈念すれば成就する、と喧伝されて著名な地蔵尊となったり(とげぬき、いぼとり、眼病、子供の夜泣きなど)、併せた寓話が後に広く童話としても知られるようになった例(六地蔵、言うな地蔵、しばられ地蔵、笠地蔵、田植え地蔵など多数)がある。 この他、自性院(猫寺)の猫地蔵や、恐山菩提寺の英霊地蔵のように、供養のため作られたさまざまな地蔵が存在する。 木之本地蔵院の地蔵菩薩大銅像 地蔵菩薩石像(青森県恐山) 水子供養地蔵尊(千葉県市川市大野町本光寺) 殺生石の千体地蔵 (栃木県那須町) 地蔵菩薩来迎図(南北朝時代、ボストン美術館所蔵) 土佐光信画『十王図』。地獄から亡者を救い出す地蔵菩薩。 三千院内にある杉村孝 作「おさな地蔵」 戦没者の供養のための英霊地蔵(恐山菩提寺) 供養のための地蔵レリーフ(杉山公園)
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