日本においての歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 08:06 UTC 版)
日本での歴史は、縄文時代以前からあったとされている。日本最古の記録は日本書紀の中にあり、スサノオノミコトが「スギとクスノキは船に、ヒノキは宮殿に、マキは棺に使いなさい。そのためには種を蒔きなさい。」と言ったとされる。事実、遺跡からも発掘されており、硬いツバキは斧の芯として、カシはしなるので弓に、トチノキは削りやすいので木器にカシ・ヒノキ・クリ・シイは丈夫なので住居に使用されていた。 時代が進んでも、日本の住居では木材が使用されてきた。鉄器などの登場により、より精密かつ緻密なものを作れるようになり、飛鳥時代には複雑な木の組み方組み方「木造軸組法」を利用した法隆寺などの建物も誕生した。ヒノキの耐水性を活かした檜風呂もこの後の時代に誕生する。 奈良時代以降は、今日本で使われている箸や食器などとほぼ同じような見た目になる。このころに、木材産業と言われる形になってきている。 木材産業の日本での最盛期は江戸時代と言われる。江戸時代の幕開けとともに江戸城修築と大規模都市開発が激化し、木材は建物の建設・維持だけでなく日用品・エネルギー源としても重要な資材となっていた。災害の度に需要は高まっていった。しかし、木材を1か所を集めたことが原因とみられる大火が多発したことにより、水路が発達した。 明治時代になり、鉄道などの流通網の発展により東京への木材入荷量は飛躍的に向上した一方で、近代・西洋技術の輸入により鉄や石材に立場を奪われつつあった。 大正時代に入ると林業技術の革新・機械製材の普及・製材工場の増設などがあった一方で、高潮や関東大震災により大量の木材が失われるなど木材産業は苦境に立たされた。 昭和に入り太平洋戦争が始まるとともに、木材は軍需品となり市場に出回りにくくなった。終戦後、日本の高度経済成長とともに復活し需要に合わせるために木場を増設したが、東京にある木場が地盤沈下するなどの問題が発生し一時混乱した。同時に、日本に輸入丸太が多く輸入され始め、1964年に輸入が自由化されると自給率は一気に下がり、ピークの2002年には18.8%にまで下がったが、ここ数年は持ち直してきている。
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