日向水力電気の開業とは? わかりやすく解説

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日向水力電気の開業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:46 UTC 版)

日向水力電気」の記事における「日向水力電気の開業」の解説

1891年明治24年)に熊本市における熊本電灯(後の熊本電気)の開業によって始まった九州地方電気事業は、その後長崎福岡などへと波及していき、1903年明治36年)までに合計11電気事業者出現していた。宮崎県においても1900年明治33年)に電気事業起業動きがあり、地元有志岡晋・大和田中心となって日向商業銀行関係者賛同得て起業着手した発起人岡・大和田らは宮崎県庁技師とともに電源となる水力発電適した地点探索しその結果1901年明治34年11月宮崎市南方清武川上流の、清武村大字船引字黒北(現・宮崎市清武町船引)を発電所建設地決定した。しかし宮崎ではまだ電気事業がなく十分に認知されてもいない時代であったため、資金調達難航した。そこで1902年明治35年)、当時全国各地電灯会社の設立関与していた京都電気商才藤吉支援求め、翌1903年明治36年4月には岡と大和田が才賀のもとを直接訪ねて事業への参画依頼する依頼受けて才賀は宮崎訪れ実地調査し、事業が有望と認めて事業への参加承諾した。 才賀という有力な支援者得たものの、日露戦争勃発会社設立への動き一時中断される。戦後1906年明治39年になって才賀と宮崎県発起人の間で事業共同経営に関する協定書結ばれる至り株式の募集水利権確保など会社設立準備進んで同年5月15日にようやく宮崎にて日向水力電気株式会社創立総会開かれた当初資本金10万円で、その半額を才賀が出資していた。社長には才賀が就き岡晋は専務大和田取締役となった。なお1915年大正4年)に才賀が死去した後は岡が社長に昇格している。 設備調達建設工事は才賀率いる才賀電機商会引き受け1906年6月より黒北発電所建設着手する。同発電所にはフォイトフランシス水車AEG三相交流発電機出力200キロワット周波数50ヘルツ)が据え付けられ、発電所から宮崎町内の配電所まで3,500ボルト送電するという配電システム構築された。翌1907年明治40年8月日向水力電気宮崎町1924年市制施行)とその周辺供給区域として開業するに至る。宮崎県最初に開業した電気事業者であった

※この「日向水力電気の開業」の解説は、「日向水力電気」の解説の一部です。
「日向水力電気の開業」を含む「日向水力電気」の記事については、「日向水力電気」の概要を参照ください。

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