日向根城坂の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 08:33 UTC 版)
天正14年(1586年)末、秀吉は徳川家康を上洛させて臣従を確認すると、翌天正15年(1587年)から大軍を九州に差し向けた。このため、島津軍は3月には撤退をすることになり、7月には家久が病死し、大友親次や惟定らの追撃を受けて大きな損害を出した。 その後、日向根城坂の戦いにおいて完敗した島津軍は、木食応其の仲介のもと、豊臣氏に降伏した(九州平定)。
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