日向正宗として伝来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 14:00 UTC 版)
勝成の手に渡った本作は、後に借金のカタとして紀州徳川家の許へ渡った。1652年(承応2年)12月に徳川頼宣は嫡男である光貞へ本作を贈った。紀州徳川家では勝成の武家官位が日向守であったことから、本作を日向正宗と名付けて代々受け継いでいた。明治維新以降も同家へ伝来していたが、1927年(昭和2年)に競売に出され、2,678円で三井男爵家が落札した。1941年(昭和16年)7月3日には当時の国宝保存法に基づく旧国宝に指定され、文化財保護法施行後の1952年(昭和27年)11月22日には同法に基づく国宝(新国宝)に指定された。指定名称は「短刀 無銘正宗(名物日向正宗)」。その後、公益財団法人三井文庫の所有となり、三井記念美術館に保管されている。
※この「日向正宗として伝来」の解説は、「日向正宗」の解説の一部です。
「日向正宗として伝来」を含む「日向正宗」の記事については、「日向正宗」の概要を参照ください。
- 日向正宗として伝来のページへのリンク