旅順工科学堂から満鉄入社とは? わかりやすく解説

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旅順工科学堂から満鉄入社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 05:31 UTC 版)

福井道二」の記事における「旅順工科学堂から満鉄入社」の解説

大正10年1921年)、旅順工科学堂(のち旅順工科大学入学のため神戸から興安丸乗り瀬戸内海玄界灘黄海船中で三泊して大連入港する大連西公園通りにある、中神三郎義兄)の弟の家で一泊し翌日一年先輩太田半治に迎えられて、二頭馬車乗り寄宿舎入っている。旅順工科学堂日露戦争後に、満蒙開発指導者となる日本中国青年養成する目的創立された。本館ロシア野戦病院として使用されいたもので、レンガ壁の厚さ一・二メートルもあり、二重ガラス三階建であった。四年の夏休みなどを実習費やし一般大学より三ヶ月早い12月卒業させ、実社会送り出していた。大正13年1924年5月撫順炭砿実習終え日本に帰国すると同時に両親長兄太郎談判してかねてより交際のあった女性大通寺の娘)との結婚同意得て、夏に中神三郎仲人で、伊良湖岬村堀切大通寺において結婚式挙げた南満洲鉄道株式会社への入社大学成績により、卒業前に決まっていた。旅順工科大学より大正14年度に入社したものは、次の通りである。機械工学科から福井道二大中信夫古賀喜熊、三橋健児、寿明、川口次郎西原駒市、長尾次郎電気工学科から多尾静雄。採砿冶金工学科から服部信次。機械工学科連中人事課出頭したところ、くじ引き福井鉄道部機械客貨車係、大中古賀鉄道部運転課三橋地方部建築課に決まった大正14年1925年12月には千葉にあった近衛師団所属鉄道第一連隊入隊大正15年1926年12月21日大連戻り同月27日ヤマトホテル披露宴をする予定であったが、同月25日大正天皇崩御された為、計画中止した満鉄入社した福井六十トン積み万能無蓋車設計命じられホッパー型の大豆石炭鉱石などの積み下ろし容易な設計完成し主任課長承認得て大連機械製作所発注した

※この「旅順工科学堂から満鉄入社」の解説は、「福井道二」の解説の一部です。
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