方おばあさん説とは? わかりやすく解説

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方おばあさん説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 07:03 UTC 版)

川島芳子」の記事における「方おばあさん説」の解説

2008年11月に、芳子は旧満州国警察学校関係者に匿われ、「方姥(方おばあさん)」と名乗って吉林省長春市住み1978年死去した証言する女性現れ調査開始された。中国メディア注目し日本産経新聞調査協力した長春大学講師野崎晃市との詳細なインタビュー記事掲載した2009年3月4日テレビ信州による報道では、芳子生存していたと証言する女性が、2009年3月中国民間調査団と共に長野県松本市にある松本市歴史の里川島芳子記念館)を訪れ芳子生前写真見て幼少期教育受けたおばあさん芳子の目と鼻はよく似ているが、断定できるかと言われると言い切れない」と話している。 2009年4月13日放送の『報道発 ドキュメンタリ宣言 昭和最大スクープ 男装の麗人川島芳子生きていた! 2時間スペシャル』(テレビ朝日放送)によると、死刑前日買収され軍人から「執行兵の銃は空砲です、銃声と共に倒れ振りをして下さい」と芳子説明があり、死刑通常どおり公開処刑ではなく非公開行われアメリカ人記者2人だけが立ち入り許可されたがカメラ取り上げられ芳子処刑直後遺体毛布包まれ検死室に送られた、との事である。数時間後に肩まで髪が伸びた女性遺体芳子遺体とされ、公にさらされた。余命いくばくもなく芳子身代わりとなった女性遺族には金の延べ棒10本が渡され役人軍隊にも贈賄されたという。この記録アメリカ国立公文書館保存されていたと報道され金の延べ棒は「おそらく愛新覚羅家が用意した」と芳子遠縁にあたる愛新覚羅家の人物答えているとされる1948年、旧満州国警察学校関係に連れられた老婆変装した芳子は、ゆかりのあった元満鉄幹部日本語通訳男性の家を突然訪れ以後その男性に匿われ、夏の数ヶ月長春近郊の新立城という小さな過ごし、冬になると浙江省にある天台宗国清寺隠れるように生活していたという。 芳子の人たちから「方おばあさん」と呼ばれており、この女性に幼い頃育てられたという、1967年生まれ女性画家登場したこの女性は「方おばあちゃん李香蘭山口淑子)のレコード擦り切れるほど聞いていた」と証言し、「このレコードをいつか李香蘭届けてほしい」と遺言されていたとコメントした女性実際に来日して山口面会し遺言レコード手渡したその際山口は方おばあちゃん肖像画見て高くスッとした鼻筋は、お兄ちゃん芳子)に間違いない」と証言した証言女性によると、方おばあさんは殆ど家から出ることもなく、家で写経をしたりお経読んで過ごしていた。訪ねてくる人も殆ど居なかったが、誰かからの援助受けていたらしく、生活に困っていた様子はなく、決し贅沢な暮らしではないが常に身奇麗にしていたという。 方おばあさん1978年死去し葬式では本人遺言どおり匿った男性養育され女性が『蘇州夜曲』を歌って見送り三回忌の後、国清寺葬られた。国清寺では「帰依証」も授けられており、お寺の人たちからは方居士よばれていた。

※この「方おばあさん説」の解説は、「川島芳子」の解説の一部です。
「方おばあさん説」を含む「川島芳子」の記事については、「川島芳子」の概要を参照ください。

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