方ノ上城の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/06 15:14 UTC 版)
天文5年(1536年)5月、当主・今川氏輝の急死により勃発した、栴岳承芳(後の今川義元)と兄・玄広恵探による家督争い(花倉の乱)において、玄広恵探派が花倉城とともに方ノ上城を占拠し抵抗したが、栴岳承芳派の岡部親綱の攻撃によって同年6月10日(新暦6月28日)に落城したという。その後の廃城時期は不明。
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