新病棟建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 06:37 UTC 版)
「サンフランシスコ・シャビエル肺結核療養所」の記事における「新病棟建設」の解説
1979年、カンポス・ド・ジョルドン市周辺には12の結核療養所があり、約1500名の結核患者が療養していたが、1981年をめどにINPS(国家社会保険院)が予算緊縮を理由に補助金額を大幅削減し、肺結核患者の7割を強制退院させる施策を採った。このため、僅か3割の重症患者を除いては継続的な治療ができなくなり、療養所の閉鎖、肺結核患者の四散、療養所職員の失職等の問題が起きた。補助金を受けていなかったサンフランシスコ・シャビエル療養所は直接的な影響は受けなかったが、以前は国家社会保険院の提携施設への入院を勧めていた患者の入所希望を受けねばならなくなった。 特効薬の普及により、自宅療養者が増えたが、家族内に伝染する弊害が起こり、潜在的な肺結核患者の増加に繋がっていた。また、再入院となる患者も増えていた。特に若い頃に軽い結核を患い、投薬で症状を抑えたが、投薬耐性を持った菌を自覚症状なしに保持し続け、老齢による衰え、栄養バランスの崩れ、精神的なショックや他の病気との併発等の形で再発しているケースが多かった。さらに、都会在住者の増加に伴ない、都会の大気汚染による気管支炎や喘息患者も増加傾向にあった。 また、築50年以上が経過していた木造宿舎の老朽化が激しく、医療施設としての建築基準からも外れようになっていた。1990年10月にはサンパウロ州の行政から2年以内に規格通りの改築をしなければ認可を取り消され、閉鎖されると勧告された。増加傾向にあった肺病患者への対応と行政の指導に対応するため、療養所の新病棟建設が計画された。1991年9月22日、新病棟の定礎式が行なわれた。多額の建設費用はブラジル日系社会においての募金活動、国際協力事業団を通しての日本政府の助成金、群馬県官民そして日本の富豪神内良一による援助によって賄われた。新病棟は起工後10ヶ月で完成し、1992年9月20日に落成式が行なわれた。同日、サンタクルス慈善協会より療養所に土地9万6000平米が追加で寄贈された。新病棟は計25室48床の鉄筋コンクリート建ての平屋造りで、延べ面積800平米であった。建築費は45万ドル、設備と備品は17万ドルかかり、総額62万ドルに達した。
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