新田開拓の年表とは? わかりやすく解説

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新田開拓の年表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 13:47 UTC 版)

毛利新田」の記事における「新田開拓の年表」の解説

1878年明治11年11月25日 - 第百十国立銀行(後の山口銀行)が資本金60万円設立初代頭取毛利祥久養父親信(藤内)が就任1880年明治13年) - 山口県人で愛知県庁土木課の岩本が牟呂海岸沖に開拓適した広大な洲を確認1885年明治18年毛利親信没。毛利祥久家督相続し第百十国立銀行取締役就任1月 - 山口県人の勝間田稔愛知県令として赴任岩本が牟呂海岸沖の洲を報告1886年明治19年勝間田毛利祥久に県の全面的支援約束し銀行融資案件として牟呂海岸沖の新田開拓勧めた三河国八名郡加茂金澤八名井の3ヶ日照対策のため、同郡の一鍬田から豊川を引く用水路工事着手したが、工事費用が不足し愛知県庁補助金陳情した1887年明治20年10月 - 毛利祥久が「海面立開墾願」と「目論見書」を勝間田知事提出12月許可される11月 - 毛利祥久第百十国立銀行支配人草刈一名義で新田開発事業決定勝間田は、新田用の加茂金澤八名井の3ヶ用水路新田まで延長する案を祥久に勧め、祥久は11月出願同月許可直ち工事着手した1888年明治21年新田用水路(後の牟呂用水)により豊川水量減り差し障りが出ると船頭荷問屋用水路許可した勝間田知事訴えたが、和解金各種取り決めをして解決した大工事であるため、毛利祥久愛知県監督請願。これが許可され、県直轄工事扱いとなった4月15日 - 愛知県庁毛利氏よりの願いにより築堤起工式挙げた1889年明治22年7月5日 - 3ヶ所の澪留工事実施する大波により2ヶ所が破壊7月7日 - 2次澪留工事完了9月14日 - 未曾有の大津波発生近隣諸国新田ことごとく堤防破壊される毛利新田激しく押寄せる波で全て破損開墾事務所その他の建造物全て流滅、作業数十名が亡くなった11月 - 3次澪留工事完了するも、西風季節風厳しく工事進まないまた、11月26日には季節風による大きな波浪で澪のいくつか破損12月 - 4次澪留工事完了1890年明治23年3月3日 - 主要工事一段落したため愛知県監督を解く、後任毛利配下桑原へ。 5月 - 数回天災克服して堤防完成7月5日 - 民有地さげ渡し許可が出る。 1891年明治24年10月28日 - 濃尾地震発生毛利新田堤防破損1892年明治25年9月4日 - 暴風雨波浪により、前年地震傷んでいた堤防壊滅し浸水多大な被害発生すると共に死者多数復旧目途立たず新田開発断念開墾事業40万円損失となった第百十国立銀行救済井上馨取りまとめた。 1893年明治26年) - 毛利新田係わる全権利を神野金之助41,000円で譲渡

※この「新田開拓の年表」の解説は、「毛利新田」の解説の一部です。
「新田開拓の年表」を含む「毛利新田」の記事については、「毛利新田」の概要を参照ください。

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