新田開発の苦難
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 04:51 UTC 版)
しかし、新田開発は巨額の利益が期待できる半面、開発の難航による資金難のリスクがあった。新田に投資した商人には破産する者もおり、鴻池家などの大商人も新田開発でかえって出費がかさむ結果になった。新田開発される荒れ地や沼地や山林の多くは、旱魃や水害のリスクが高いために開発が進んでいなかったのであり、古くからの農地より自然災害の危険が高い土地が多かった。多くの新田が水害で破壊され、近隣の村との水争いが発生した新田もあった。 新田開発失敗の例では、下総国の印旛沼や手賀沼があげられる。これらの湖沼では、近隣の農民たちが何度も干拓に挑戦したが利根川水系からの水の逆流によって失敗し続けた。田沼意次や水野忠邦らにより、幕府による巨費を投じた大規模な新田開発も試みられたが、水害による堤防や新田の崩壊、財政難、指揮を執った老中の失脚などにより中断され、いずれも第二次世界大戦後になるまで本格的な干拓・農地化は成功しなかった。
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