新田荘の金津氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/21 14:36 UTC 版)
寛元三年(1245年)、金津蔵人資成(すけなり)が上野国新田荘内米沢村名主職の領有を求めて鎌倉幕府へ懸物状を提出。弘安4年(1281年)六月十五日付『長楽寺住持院豪文書注進』では「金津殿寄進状」が存在し、金津氏が新田荘周辺の所領を長楽寺へ寄進を行なった。荘園本来の所職である名主職の獲得は、新田義重と源盛義との親交関係や平賀氏一族との猶子関係から発展して、蔵人系金津氏が新田氏一族との姻戚関係を通じて新田荘内に所領を得て、新田氏一党に内包されていったと考えられる。
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