新田義貞追討の院宣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:00 UTC 版)
光厳は新田義貞追討の院宣を足利尊氏に下した約1ヶ月後の延元元年/建武3年3月(1336年)、伊勢神宮・石清水八幡宮・春日大社に宸筆の般若心経を奉納した(『光厳天皇宸翰御奉納心経』)。その奥書には「二世無辺の願望を成さん(伊勢神宮)」「三界流転の衆生を救わしめん(石清水八幡宮)」「三界衆生の願望を満たさん(春日大社)」といった文言が見られるため、深津睦夫は、光厳を裏切った尊氏への院宣発給を「権力欲とは程遠いもの」と評し、「乱世を収束させなければならない」という天子としての公的な思いによるものではないかとしている。
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