新幹線「のぞみ」とAT饋電方式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 00:15 UTC 版)
「AT饋電方式」の記事における「新幹線「のぞみ」とAT饋電方式」の解説
1964年(昭和39年)の東海道新幹線開業当初にはBT饋電方式が採用されたが、この方式ではパンタグラフがブースターセクションを通過するたびに過大なアークを引き起こし、架線を断線させる事故が度々発生していた。 また、走行する列車編成内のパンタグラフ同士が電気的に繋がれていると渡り線などの異相給電部を短絡してしまうため、0系車両は2両(M+M')を1ユニットとする電動車の各ユニット毎に1基の独立したパンタグラフを装備し、16両編成で合計8基のパンタグラフを上げていた。しかしこの方式はパンタグラフが架線から離線するとアークを飛ばすことになるばかりか、複数パンタグラフの押し上げによる架線からの離線率増加、高速走行時の走行抵抗や騒音の増大など、更なる高速化の大きな妨げであった上、設備側においても電磁誘導による障害、トロリ線の摩耗、多数のパンタグラフによる架線の振動など問題が多かった。 離線率を減らすため、パンタグラフ自体の改良による架線追随特性の改良にも限界があるため複数のパンタグラフを特高圧引通線で電気的に繋いでおけば(ブス引き通し)、1つのパンタグラフが離線しても他のパンタグラフから電気が供給されるためアークの発生を低減できる。パンタグラフ単体の離線率が仮に10 %であっても、2基並列運転で合成離線率1 %、3基並列運転で合成離線率0.1 %とできる。現代のシングルアームパンタグラフでは追随特性の改良から1基集電も可能になったが、東海道・山陽新幹線においては集電電流の関係から2基並列運転に落ち着いている。 なお、山陽以降に開業した各新幹線は当初よりAT饋電方式であり、このうち東海道新幹線と直通しない東北・上越の両新幹線の営業用車両では、1983年(昭和58年)よりパンタグラフが特高圧引通線によって並列接続され、高速走行時における使用パンタグラフ数削減と、その際のアーク発生の低減とについては実証済であった。 こうしたことから東海道新幹線においても、1984年(昭和59年)からAT饋電方式への変更と渡り線部の同一給電化、ブースターセクションの撤去とが始まり、1991年(平成3年)に完成をみた。これにより、編成内のパンタグラフを並列接続として全ての電動車ユニットを同一給電でき、離線アークを大きく抑えられ、16両編成ながらパンタグラフを2基にまで減らした300系を運転することが可能となった。 時速270 kmののぞみの運転は、こうした地上電気設備の改良もあり、初めて可能になったものである。またこの後、100系にも、順次特高圧引通線を設ける改造が行われたが、パンタグラフの数が削減されたにも関わらず、複数並列接続となったため、アークの発生も大幅に低減した。
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