改名の経緯
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改名に至った発端となったのは2000年、『新・ウンナンの気分は上々。』におけるさまぁ〜ず(当時バカルディ)との改名対決。 バカルディとは改名対決の前からライバル関係且つ犬猿の仲という設定で、お互い「もう二度と出てくるな」「一緒に出ると好感度が下がる」などと散々言い合っていた。そこで内村光良(ウッチャンナンチャン)により、「それならいっそのこと勝負をつけよう、負けた方には罰を」との提案がなされ、「対決をして負けた方は改名」という対決企画が組まれる運びになった。最初はバカルディが敗北し『さまぁ~ず』に改名させられる。しかし改名後さまぁ~ずは徐々にブレイクし、期間限定改名だったはずがさまぁ~ずとして定着。再びコンビ名改名を懸けたビーチバレー対決が行われるが、今度は海砂利水魚が敗北し、『くりぃむしちゅー』にこちらも期間限定で改名する運びとなった。 名前の由来は有田の好物であるクリームシチューから。当初は2人が共通で好きなものを取る選択肢も出たが、字面で一番面白かったためこれを採用した。 さまぁ~ずほど改名は徹底されず、改名後も2つのコンビ名が併用されていた。その半年後に上田がコンビ名をあまり気に入っていなかったことや、コンビ名を変える責任の重さを感じ始めて本人たちも元の名前へ戻すかどうかを迷い始める。ファンを集めた討論会が同番組で行われたものの結局結論は出ず、最終的には内村がビリヤードで落とした球の数字が偶数だったら現状維持、奇数だったら『海砂利水魚』に戻すというゲームを行い、結果14番が落ちてそのまま『くりぃむしちゅー』を名乗ることとなり現在に至っている。 なお、お笑い芸人の看板とも言うべきコンビ名を安易に変えさせてしまった内村はその責任を感じ、その後は両コンビ(特にさまぁ~ず)を自身のレギュラー番組などで積極的に起用していった。これが不遇の時期を過ごしていた両コンビに世間の目に触れる機会を与え、後のブレイクを後押しする形となった。なお、「改名でブレイクした」という世間の認識に対して本人たちは日経エンタテインメントのインタビューなどにおいて「改名前から売れ始めていた」と強調。また、さまぁ〜ずは逆に「俺たちは改名してから仕事が増えたけど、くりぃむしちゅーは改名してから仕事が増えるまで1年くらいかかったから苦労したと思う」と指摘している。 さまぁ〜ずとは改名対決終了後はほどなく和解したという設定。敵対関係というのはあくまでも番組上での演出またはネタであり、2組は実際に仲が悪いわけでなく『内村プロデュース』『ミドル3』など他の番組では仲良く絡んでいる。2005年4月10日にはTBSで両コンビをメインとした冠特番『世界最強ありえねェ~奇跡の映像バトル!!』で共演。両コンビが改名に揺れていた2001年8月23日には、『ナインティナインの@llnightnippon.com』にさまぁ〜ずと海砂利水魚が揃ってゲスト出演し、お互いのトークで盛り上がっていた。
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改名の経緯
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「ザ・クラウン (バンド)」の記事における「改名の経緯」の解説
米国にも「クラウン・オブ・ソーンズ」という同名バンドがおり、彼らは再三、改名しないなら告訴する用意がある旨をメールやFAXで通告していた。初めのうちは黙殺していたが、あるとき、ロック界の重鎮キッスのジーン・シモンズとポール・スタンレーの署名入りで、同様のFAXが送られてきた。これにはさしもの彼らも改名を選択せざるをえなかった。ちなみに、シンガーのヨハン・リンドストランドはキッスの大ファンであるが、その事と改名の一件との因果関係は不明。 おそらくアメリカのレコード会社と契約し、全世界規模でレコードをリリースするにあたって著作権、及び商標権の問題から改名せざるを得なかったと思われる。また改名にあたってクラウン・オブ・ソーンズ名義でリリースした3枚のアルバムもザ・クラウン名義に変更し、アメリカのメタル・レーベル、メタル・ブレイド・レコーズよりリリースされた。
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