改名のエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/03/26 05:39 UTC 版)
「さまぁ〜ず」の記事における「改名のエピソード」の解説
TBS系列のバラエティ番組『新ウンナンの気分は上々。』において、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)と因縁の対決として数々の企画が組まれた。当初は芸能界引退を賭けた勝負だったが、いずれも未経験な競技ゆえに試合が白熱してしまい最初は洒落だと思っていたものが徐々に現実味を帯び始め、3回目の対決となった2000年10月20日放送分において陸上競技対決を行い、敗れた方が罰としてコンビ名を屈辱的な名前に改名させられることになった。敗れたバカルディは半年間(後にもう半年延長)「さまぁ〜ず」として活動する憂き目に遭った。 「さまぁ〜ず」というコンビ名は内村光良によって命名。由来は内村が二人に何が好きかと質問した際に、三村・大竹とも「夏」と答えたこと。脱力感のあるひらがなと「〜」の表記、また「バカルディ」の名に愛着が湧いていたこともあり、改名決定直後の本人たちは大きな抵抗があったが、所属事務所の対応はスムーズで、社内外の資料や仕事先での応対などは瞬く間に「さまぁ〜ず」に移行したという。 当初この改名は期間限定だったが、その期限が過ぎる頃になると徐々にブレイクして「さまぁ〜ず」で定着し始めた。2001年3月30日に「さよならさまぁ〜ず」と題して番組初の生放送でバカルディへの再改名をかけて再び卓球対決が行われ、白熱した挙句放送時間に間に合わずに終了し、その翌週さまぁ〜ずが負けたことが放送された。この白熱は後に「ものすごい葛藤があったから」と三村は語っており、この放送翌日から「さまぁ〜ず」として腹を括ったという。その後ビーチバレー対決(2001年9月28日放送)の際は有田哲平が、さまぁ〜ずが負けたら個人の芸名をそれぞれ「ビーチ三村」と「大竹すいか割り」にする条件を突きつけたが、結果は海砂利水魚の負けとなり、これにより海砂利水魚は「くりぃむしちゅー」に改名する。 しかし、お笑い芸人の看板とも言うべきコンビ名を安易に変えてしまった内村はその責任を重く感じ、その後両コンビ(特にさまぁ〜ず)を自身のレギュラー番組などで積極的に起用していった。これが不遇の時期を過ごしていた両コンビに世間の目に触れる機会を与え、後のブレイクと現在の活躍を後押しする形となった。内村さまぁ〜ず135回では三村の口から、当時会う度に謝罪されていたことが明かされた。 めちゃイケでは、笑わず嫌い王決定戦に常連出演しており、第1回当時は「バカルディ」であったが、第2回以降は現在の「さまぁ〜ず」に改名していた。そこで、「めちゃイケ大百科事典」では、どちらで用語を収録すればいいかとめちゃイケメンバーが伺いに行ったことがあり、その際に三村が「じゃ、いいよバカルディで」といったことから、「バカルディ」の項目で収録されることになった。
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改名のエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 23:51 UTC 版)
TBS系列のバラエティ番組『新ウンナンの気分は上々。』において、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)と因縁の対決として数々の企画が組まれた。当初は芸能界引退を賭けた勝負だったが、いずれも未経験な競技ゆえに試合が白熱してしまい最初は洒落だと思っていたものが徐々に現実味を帯び始め、3回目の対決となった2000年10月20日放送分において陸上競技対決を行い、敗れた方が罰としてコンビ名を屈辱的な名前に改名させられることになった。敗れたバカルディは、半年間(後にもう半年延長)「さまぁ〜ず」として活動する憂き目に遭った。 「さまぁ〜ず」というコンビ名の由来は同番組内での「名前は好きなものにあやかった方がいい」という会話の中で、大竹が「俺は一年中夏で良い」と答えたこと。それを受けて対戦相手である有田が「サマーズ」という案を出し、脱力感のあるひらがなと「〜」の表記がよいという内村のアイディアが加わって命名された。2人は「バカルディ」の名に愛着が湧いていたこともあり改名決定直後は大きな抵抗があった。しかし事務所の対応はスムーズで、社内外の資料や仕事先での応対などは瞬く間に「さまぁ〜ず」へ移行された。 当初この改名は期間限定だったが、その期限が過ぎる頃になると徐々にブレイクし「さまぁ〜ず」で定着し始めた。2001年3月30日に「さよならさまぁ〜ず」と題して番組初の生放送でバカルディへの再改名をかけて再び卓球対決が行われ、白熱した挙句放送時間に間に合わず終了し、その翌週さまぁ〜ずが負けたことが放送された。この白熱は後に「ものすごい葛藤があったから」と三村は語っており、この放送翌日から「さまぁ〜ず」として腹を括ったとのこと。その後のビーチバレー対決(2001年9月28日放送)の際は有田が、さまぁ〜ずが負けたら個人の芸名をそれぞれ「ビーチ三村」と「大竹すいか割り」にする条件を突きつけたが、結果は海砂利水魚の負けとなり海砂利水魚は「くりぃむしちゅー」へと改名した。 しかし、芸人の看板とも言うべきコンビ名を安易に変えてしまった内村はその責任を重く感じ、その後両コンビ(特にさまぁ〜ず)を自身のレギュラー番組などで積極的に起用していった。これが不遇の時期を過ごしていた両コンビに世間の目に触れる機会を与え、後のブレイクと現在の活躍を後押しする形となった。
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