携帯式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 15:32 UTC 版)
詳細は「携帯式防空ミサイルシステム」を参照 携帯式防空ミサイルシステム(MANPADS)は、1960年代後半より配備されはじめた、比較的新しいテクノロジーである。 MANPADSのコンセプトは、第二次世界大戦末期にドイツ国防軍が開発したフリーガーファウストにおいて既に見られるが、これは、その後高速化を続ける航空機に対処できなかった。アメリカ陸軍は1948年より、フリーガーファウストを含めた数機種を検討したが、いずれも不十分な防空効果しか得られないことから、独自の開発を決定、コンベア社による10年におよぶ基礎研究ののち、1959年より開発プロジェクトが開始された。これによって開発されたのが世界初のMANPADSであるFIM-43 レッドアイである。また、ソ連でも1959年頃から同様の研究が行なわれており、これは9K32 ストレラ2(SA-7 グレイル)として配備された。これらの第1世代MANPADSは、いずれも単純な赤外線誘導を採用していた。ただし、イギリスの第1世代MANPADSであるブローパイプ(en)では手動指令照準線一致誘導方式(MCLOS)が使われている。 その後、第2世代のMANPADSの開発が開始された。これらは、シーカーの冷却や2波長光波誘導などの採用により攻撃可能範囲を増大させており、アメリカではFIM-92 スティンガー、ソ連では9K34 ストレラ3(SA-14 グレムリン)が配備された。また、日本の91式携帯地対空誘導弾では、さらに先進的な画像誘導方式が採用されている。一方、イギリスは第2世代のジャベリンではより自動化された無線式SACLOS誘導、第3世代のスターバーストではレーザーSACLOS方式を採用しており、スウェーデンのRBS 70でも同様にレーザー誘導が選択された。 第1世代MANPADSは、ベトナム戦争のころより実戦投入されたが、比較的容易に回避されることから、VSHORADとしては、高射砲の補完の域を出なかった。その後、アフガニスタン紛争で第2世代MANPADSであるスティンガーが実戦投入されて大きな戦果をあげた(#1980年代以降も参照)ことから注目を集め、世界的に普及するようになった。 しかしその後、ソビエト連邦の崩壊やMANPADSの普及により、MANPADSがテロに利用される恐れが増大した。1994年にはルワンダ政府専用機のダッソー ファルコン 50がMANPADSによって撃墜され、ルワンダ大統領ジュベナール・ハビャリマナと便乗していたブルンジ大統領シプリアン・ンタリャミラが共に死亡する事件が発生し(ハビャリマナとンタリャミラ両大統領暗殺事件)、この事件を直接のきっかけとして史上有数のジェノサイドが引き起こされた。また、2002年には、エル・アル航空機が9K32で攻撃されるという事件が発生した(エル・アル航空機は赤外線シーカーへの欺瞞装置を備えていたため、この攻撃は失敗した; 英語版記事)。これを受けて、2003年の第29回主要国首脳会議において、「交通保安及び携帯式地対空ミサイル(MANPADS)の管理強化」に関する行動計画が採択された。
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