捜査の終結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 22:47 UTC 版)
「アーニー・フレッチャー」の記事における「捜査の終結」の解説
ケンタッキー州最高裁判所が、大陪審はフレッチャーの包括的恩赦の範囲となった人を告訴し続けられるかについて、フレッチャーの控訴を審問する準備をしていたとき、7人の判事のうちの2人が、利害の対立を理由に審問を忌避した。ケンタッキー州憲法の規定では、1つの裁判で2人以上が忌避した場合に、知事が代役判事を指名できることになっている。それに従い、フレッチャーは2人を指名したが、そのうちの巡回裁判所判事ジェフリー・バーデットが、2003年の州知事選挙でフレッチャーに献金したという理由で、代役を断った。フレッチャーは再度バーデットの代役となる特別判事を指名した。これは前任の民主党員知事ブレレトン・ジョーンズが行った前例に従っていた。スタンボがこの3人目の指名に異議を出した。バーデットが就任を拒否したことで判事の空きは1人のみとなり、そのような場合は6人のみで審理を行うことができるという主張だった。ケンタッキー州最高裁判所はスタンボの主張を入れた。2006年5月18日に最高裁判所の判決が出され、4対2の票決で大陪審がフレッチャーの包括的恩赦に含まれる人をそれ以上告訴することを禁じ、控訴審判決を逆転させた。この判決は恩赦が出された後に実行されたとされる犯罪についての起訴には影響しなかった。最高裁判所は、大陪審がその捜査の結論として判断したことを総合報告書として発行できることも支持したが、起訴されなかった者の名前がその報告書に記載されるかについては答えを出していなかった。後に控訴裁判所が出した判断では、起訴されなかった者は報告書に記載できないとしていた。 この最高裁判所判決が出る直ぐ前に、大陪審はフレッチャーに対して、共謀、公務員職権乱用、政治的差別という3つの微罪で告訴状を出した。6月9日に予定された罪状認否には、フレッチャーがフロリダ州での休暇中だったので出廷しなかった。フレッチャーの代わりにフレッチャーの弁護士が3つの告訴全てに対し「無罪」の抗弁をおこなった。2006年8月11日、特別判事デイビッド・E・メルチャーが、個人的な法律違反は侵されたとしても、フレッチャーは知事として任務を遂行しており、行政者免訴に守られているので、その任期が終わるまで告発されないという判断を出した。メルチャーは原告被告の双方が協議して決着をつけるよう求めた。8月24日、フレッチャーとスタンボが合意を発表した。その解決策の下で、フレッチャーは「その政権による不正行為を強く示す」証拠を認めたが、個人的にはいかなる不正行為も認めなかった。フレッチャーはスタンボによる事件告発が「その憲法上の任務にとって必要であり適切な行為だった」ことも認め、成果主義制度の悪用が終わったことを確認した。スタンボは、フレッチャーに対する告発を取り下げることに加え、フレッチャー政権による如何なる法律違反も「悪意が無かった」ことを認めた。フレッチャーに指名された州人事委員会の委員4人が辞任を求められた。その後任は、スタンボが用意した名簿からフレッチャーが選ぶこととされた。 大陪審は2006年10月に捜査に関する報告書を発行し、判事が11月16日に一般公開することを命令した。この報告書はフレッチャー政権の行動を「成果主義制度雇用法に違背するために範囲を広げ協調された計画」に分類していた。「この捜査は、アーニー・フレッチャー知事が主張していた誤りを犯したここかしこに挙げられた少数の人々に関するものではない」とし、フレッチャーが発した包括的恩赦と、フレッチャーが修正第5条の権利を選んだことで、「この事件の真相に迫ることを難しくした。その結果、大陪審は文書の証拠に依存し、それを繋ぎ合わせることを一部強いられた」と嘆いていた。フレッチャーは、この報告書に述べられていることが、スタンボとの決着、すなわちフレッチャー政権は「悪意無しに」行動したことを認めていたのと、一致していないと主張した。
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