指導者と晩年とは? わかりやすく解説

指導者と晩年(1970-2004)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 21:37 UTC 版)

安田矩明」の記事における「指導者と晩年(1970-2004)」の解説

1970年昭和45年)、中京大学教員転身教授就任した中京大では陸上競技部監督部長歴任し室伏広治らを育てた。また台湾生まれの縁があり、教育大競技部後輩でもある陳全壽中京大教員スカウトし、陳を慕って多く台湾人留学生陸上競技選手)が中京大留学するきっかけ作ったウィリー・バンクス中京大特別講師として教鞭を執っていた頃には、バンクス親しく交わり日本事情伝えたことから、後年バンクス天然芝に近い人工芝フィールドターフ」を日本もたらすことにつながった1979年昭和54年)、アメリカからストレッチ持ち帰った豊田工業高等専門学校教授小栗達也ストレッチ習い授業取り入れたほか、自ら実践し家族取り組む様子読売新聞写真付き掲載された。1983年昭和58年)、フィンランド・ヘルシンキで開かれた第1回世界選手権コーチ1人として日本選手団帯同1992年平成4年)にもバルセロナオリンピックコーチとして日本選手団随行している。 1990年平成2年)にはマスターズ陸上関心示し競技への参加意欲示した実際1993年平成5年10月世界ベテランズ選手権宮崎県総合運動公園陸上競技場)に55歳上の部で出場したが、記録なしに終わった日本陸上競技連盟では1995年平成7年)から2000年平成12年)まで強化委員長務め1996年アトランタオリンピックではヘッドコーチ2000年シドニーオリンピックでは日本選手団本部役員務めた中京大開かれた室伏広治シドニーオリンピック壮行会では「広治のフォーム世界一なんですよ」と絶賛していた。中京大教授として1997年平成9年)に「ポール材質による棒高跳び記録変遷」という論文執筆した晩年筑波大学陸上競技部の部史『世紀を越えて』(2004年平成16年発行)への寄稿求められたが、安田闘病であったため、安田友人同期であった大西暁志(順天堂大学教授)が代わりに執筆した2004年平成16年4月16日午後3時56分、肝臓がんのため愛知県豊田市内の病院逝去68歳であった葬儀4月19日豊田市セレモニーホール豊田貴賓館で営まれた。

※この「指導者と晩年(1970-2004)」の解説は、「安田矩明」の解説の一部です。
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