指導者とエグゼクティブのキャリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 21:54 UTC 版)
「ジェリー・ウェスト」の記事における「指導者とエグゼクティブのキャリア」の解説
引退後のウェストは、1976年より3シーズンにわたってレイカーズの監督を務めた。この間145勝101敗で勝率58.9%だった。プレーオフを逃していたレイカーズを3年連続でプレーオフに進出させた。初年度に地区決勝で敗れたのが最高の成績で翌年は1回戦敗退、3年目は地区準決勝敗退だった。 1979年よりコンサルタントとしてレイカーズのフロントに入り、この役職で2年間を過ごした。1982年にはゼネラルマネージャーとして選手人事に関わる仕事を受け持つことになった。当時のレイカーズはカリーム・アブドゥル=ジャバーやマジック・ジョンソンを擁し、前年度よりパット・ライリー監督を据えた強豪になっていた。さらにジェームズ・ウォージーを加えたレイカーズは1980年代に黄金時代を迎え、これらの選手を核にしてチームの補強に努めた。 1980年代の終わりにアブドゥル=ジャバーが引退すると、ユーゴスラビア人のブラデ・ディバッツを獲得。ディバッツはNBAで活躍した最も初期のヨーロッパ人となった。レイカーズは1990年代前半には低迷期に入ったが、チームのバスケットボール部門取締役副社長に昇格した1994-95シーズンにエディー・ジョーンズなどを獲得し、48勝34敗まで持ち直したことにより、NBA最優秀役員賞を受賞した。 1996年、シャキール・オニールとコービー・ブライアントを獲得した。2000年にフィル・ジャクソン監督を招聘するとレイカーズは2000年のNBAファイナル(英語版)に進み12年ぶりに優勝し、ここから3連覇した。ウェストが選手人事の仕事に携わって以降で合計7回目の優勝となった。 2002年、レイカーズのフロントを退き、メンフィス・グリズリーズとバスケットボール部門社長として契約し、同チームへ赴いた。グリズリーズはチーム創設以来成績が低迷していたが、ヒュービー・ブラウンを監督に迎え入れ、このシーズンは過去最高の記録だった28勝54敗で乗り切った。翌シーズンは50勝32敗と躍進し、レイカーズ時代に続き2度目のNBA最優秀役員賞を受賞した。2007年に辞任。
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