技術的変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 03:51 UTC 版)
最初の鏡は、水溜りの水面に自らの姿形などを映す水鏡であったと考えられる。その後、石や金属を磨いて鏡として使用していたことが遺跡発掘などから分かっている。 古くは、チャタル・ヒュユク遺跡から、黒曜石を磨いた石板の鏡が出土している。 続いて、金属板を磨いた金属鏡が作られ、多くは青銅などを用いた銅鏡であったが、後に錫めっきを施されるようになった(表面鏡)。現存する最古の金属鏡は、エジプトの第6王朝(紀元前2800年)の物。以来、銅・錫およびそれらの合金を磨いたもの、および水銀が鏡として用いられる。 東アジアでは、中国の銅鏡史で、約4千年前の「斉家文化期」(新石器時代)が古く、殷・周代を経て、春秋戦国時代になると華南地方を中心に大量に生産・流通することとなる。中国鏡の日本への渡来は弥生時代中期から確認される(日本での金属鏡の始まりは前2世紀前後)。日本では、紀元前2世紀から後16世紀(弥生期から桃山期)までの約1800年間を「古鏡の時代」と区分・分類している。 現代の一般的な鏡はガラスの片面にアルミニウムや銀などの金属のめっきを施し、さらに酸化防止のため銅めっきや有機塗料などを重ねたものである(裏面鏡)。 1317年にヴェネツィアのガラス工が、錫アマルガムをガラスの裏面に付着させて鏡を作る方法を発明してから、ガラスを用いた反射の優れた鏡が生産されるようになった。これはガラスの上にしわのない錫箔を置き、その上より水銀を注ぎ、放置して徐々にアマルガムとして密着させ、約1ヶ月後に余分の水銀を流し落として、鏡として仕上げるという手間のかかるものであった。 1835年にドイツのフォン・リービッヒが現在の製鏡技術のもととなる、硝酸銀溶液を用いてガラス面に銀を沈着させる方法(銀鏡反応)を開発し、以来、製鏡技術は品質、生産方法共に改良され続けてきた。 今では、鏡は高度に機械化された方法で大量生産され、光沢面保護のための金属めっきや塗料の工夫により飛躍的に耐久性が向上したが、ガラスの裏面を銀めっきした鏡である点は19世紀以来変わらない。これは、銀という金属は可視光線の反射率(電気伝導率および熱伝導率に由来する)が金属中で最大のためである。 一応アルミを利用する例もあるが、銀に比べ反射率が若干劣る。ガラスなどに蒸着させず単体で用いたものは割れず軽い上に強度に優れるが映りが劣る。 ガラスを使う鏡の他に、ポリエステルなどのフィルムの表面に金属を蒸着し、可搬性や安全性を高めたものもある。
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