技術的問題を巡る伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/22 18:22 UTC 版)
「ソユーズ1号」の記事における「技術的問題を巡る伝説」の解説
当時の他の有人宇宙船と異なり、ソユーズ宇宙船(7K-OK)は無人での試験飛行に一度も成功しておらず、コマロフが搭乗する以前の全ての飛行において何らかの問題が起こっていた(コスモス133号、コスモス140号参照)。ユーリイ・ガガーリンはソユーズ1号の予備乗員で、ソユーズには設計上の問題があること、にもかかわらず打上げを進めようとする政治局からの圧力があることに気づいていた。ガガーリンはソユーズ1号ミッションからコマロフを降ろそうと試みた。彼はソ連の指導部が国家の英雄である自分をこのような危うい飛行に搭乗させようとはしないだろうと知っていたためである。 打上げの数週間前、コマロフは次のように述べたと言われている。 「もし自分がこの飛行に乗らなければ、彼らは代わりに予備乗員を乗せるだろう。そうなればユーリイが自分の代わりに死ぬことになる」 打上げ前にソユーズ1号の技術者達は党指導部に、ソユーズには200箇所の設計上の欠陥があることを報告していたと言われているが、彼らの懸念は「宇宙開発における一連の快挙によってレーニンの誕生日を祝うという政治的圧力のために却下された」 。宇宙開発競争においてソ連がアメリカに勝ち続ける必要性や、ソ連が最初に月面に立つという動機が、ソユーズ1号の打上げを巡る圧力にどの程度影響していたのかは明確ではないが、ソユーズ1号の惨事によって、続くソユーズ2号及び3号の打上げは1968年10月25日まで遅れることとなった。この18ヶ月の空白期間と、1969年7月3日に起きた無人のN-1ロケットの爆発事故、そして同年7月20日のアポロ11号の月面着陸成功によって、ソ連の有人月旅行計画は断念された。 この18ヶ月の中断を乗り越えて大幅に改善されたソユーズ計画が再び始まったことは、ソユーズ1号の3ヶ月前に起きたアポロ1号の事故の後にアメリカの宇宙計画が大幅に見直された経緯と多くの点で類似している。
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