批判地政学の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:59 UTC 版)
「批判地政学(英語版)」も参照 ヘルマン・ファンデアヴステン(Herman van der Wusten)とジョン・オロッコリン(John O'Loughlin)は1986年に「Claiming new territory for a stable peace : how geography can contribute」を発表し、世界システム論を踏まえた空間分析という経験主義的アプローチを基礎としながら、戦争と平和の研究を政治地理学における新しい研究課題として位置づけた。これに対して、ガローゲ・オトゥホールは「経験主義に根ざす道具主義的な問題解決モデルからは既存の社会政治的関係を問うことができない」とオロッコリンらの方法論を批判し、批判理論を導入することで戦争・暴力・平和といった概念の国家的解釈や国家システムそのものを問題化するべきであると論じた。 1990年代のポストモダン的言説は、従来の人文・社会学的知の真実性・客観性を疑問視した。こうした潮流を組む、それまで国際政治において日常的に見いだされてきた地理的諸根拠や、地理的言説・表象といったコンテクストが、既存の支配的な国際政治の政策や実践をどのように正当化するかを明らかにする地政学を「批判地政学」と呼ぶ。オトゥホールとジョン・アグニューは、1992年に『地政学と言説』を発表し、地政学の実践は「客観的で不変の自然環境という地理的現実」に立脚するのではなく、官僚・外交官・外交評論家といった国政に携わる識者が、対象の地域に特定のイメージをもち、国際政治を「特定のタイプの場所や人々やドラマによって特徴づけられた一つの『世界』として表象すること」であるという主張のもと、地政学の再構築に取り組んだ。 1997年の全米地理学者協会年次大会においては、オトゥホールの批判地政学について、①テキストデータに過度に依存し、その他の実証的資料を軽視している、②研究対象が男性・英米人の言説に偏っている、③エリートによる国政術以外の地政言説を軽視している、という3つの批判がなされた。また、2000年代後半からは古典地政学的な観点からの批判地政学批判が展開されはじめた。テレンス・ハバルク(Terrence Haverluk)らは批判地政学の背景には体制変革への志向という政治的意図が存在するとして、「新古典地政学」を提唱した。
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