戦間期のルーマニア領およびセルビア領バナトとは? わかりやすく解説

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戦間期のルーマニア領およびセルビア領バナト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 02:53 UTC 版)

バナト・ブルガリア人」の記事における「戦間期のルーマニア領およびセルビア領バナト」の解説

第一次世界大戦が終わると、オーストリア=ハンガリー帝国解体されバナトルーマニア領とセルビア領に分割された。多くバナト・ブルガリア人ルーマニア王国国民となった一方セルビア領バナト住んでいた者はユーゴスラビア王国国民となったルーマニア王国では、国勢調査において、「バナト・ブルガリア人」は独立した民族として扱われた。教育において基本的にルーマニア語使用されブルガリア語学校国有化されなかった。1931年ルーマニアの地理学の書籍では、同国のティミシュ=トロンタル郡に住むブルガリア人を「外国人」と表現し、その民族意識ルーマニア人のもの程「美しくない」としたが、一般的にバナト・ブルガリア人は、戦間期ルーマニア王国においては正教徒ブルガリア人少数民族よりは良い扱いをうけていた。 ユーゴスラビア王国では、ヴァルダル州(Vardar Banovina)、西方失地、そしてバナトを含む全ての地域において、ブルガリア人少数民族存在認めていなかった。戦間期ユーゴスラビア王国において、バナト・ブルガリア人の数は公的な資料から読み解くことはできないユーゴスラビア王国でも、バナト・ブルガリア人正教徒ブルガリア人よりは良い扱いをうけていたが、教育ではセルビア・クロアチア語のみが認められていた。 1930年代において、ルーマニアバナト・ブルガリア人は、イヴァン・フェルメンジン(Ivan Fermendžin)、アントン・レバノフ(Anton Lebanov)、カロル・テルビス(Karol Telbis (Telbizov))らを中心とした民族復興時代迎えた。これらの新し文化的指導者たちは、パウロ派やローマ・カトリックアイデンティティ用いてバナトブルガリア人アイデンティティ強調しブルガリア政府や、ルーマニア国内の他のブルガリア人、特にドブロジャブルガリア人社会との結びつき確立した民族復興運動主体となったのは、1935年から1943年までの間発行された「バナト・ブルガリア人の声(Banatsći balgarsći glasnić)」や、1935年から1943年まで年1回発行された「バナト・ブルガリア人のこよみ(Banatsći balgarsći kalendar)」であったブルガリア人バナト移住200周年祝福する計画つくられた。これは、この時代バナト・ブルガリア人による民族的アピールとしては最大級のものであり、ルーマニア政府によって部分的に見直し余儀なくされたものの、多くブルガリア知識人関心を引くこととなった。 スタル・ビシュノフのカロル・テルビスとカロル・マニョフの先導により、ルーマニア国民農民党下部組織としてブルガリア人農民党1936年設立された、ペタル・テルビスが議長となった。ペタル・テルビスはまた、1939年発足したバナトにおけるブルガリア国民協会」の会長にも就任したブルガリアユーゴスラビア1930年代に入ると関係改善向かいユーゴスラビア間接的にバナト・ブルガリア人少数民族存在認めようになった。しかしそれでも、バナト・ブルガリア人民族復興ルーマニアよりも大幅に小さなものに留まった。テルビスやレバノフといったルーマニア領バナトブルガリア人活動は、ユーゴスラビア領のブルガリア人わずかに影響与えるのみに留まった。

※この「戦間期のルーマニア領およびセルビア領バナト」の解説は、「バナト・ブルガリア人」の解説の一部です。
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