戦間期のバルカン半島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 08:04 UTC 版)
「バルカン戦線」の記事における「戦間期のバルカン半島」の解説
第一次世界大戦ではバルカン半島も戦場となった。セルビア、ルーマニア、ギリシャは協商側、ブルガリアとオスマン=トルコ、そしてオーストリア=ハンガリーは同盟側で戦った。1918年、戦争が終わるとバルカン半島の国境線は引き直された。ブルガリアとトルコは領土を縮小され、一方ルーマニアは領土を二倍近くに増やした。そしてオーストリア=ハンガリーは解体され、バルカン半島部の旧領はアルバニアと、紆余曲折を得てユーゴスラビアという一つの国に再編成された。ギリシャは大戦終結直後にエーゲ海の島々と小アジア半島の領土をさらに奪おうとトルコ領内へ侵攻したが、体制が変わったトルコの予想外の善戦で撃退された。 これ以外にもバルカン半島の諸国は例外なく周辺国と領土問題を抱えており、さらに当時ヨーロッパで流行した民族自決主義がこの地域に紛争の火種を植え付けていた。絶えず国境線が変わり続けてきたバルカン半島は、様々な人種・宗教が同じ地域に入り混じっており、取りこぼしのない形で民族ごとに国境線を引くなど不可能に近い土地だったからである。 こうしてバルカン半島諸国が政治的に不安定でいる一方、アドリア海の対岸のイタリアでは同様の戦後の混乱の中で、新しい政治勢力が力を伸ばしていた。 ローマ進軍で政権を奪取したその勢力の指導者は、ほどなくバルカン半島侵略の意図をあからさまにし始める。
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