成立に関する諸説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 14:03 UTC 版)
「ルースカヤ・プラウダ (キエフ大公国)」の記事における「成立に関する諸説」の解説
「簡素本」の各条項 第1条 - 第18条:「ヤロスラフの法典」 - ヴァシリー・タチーシチェフによって発見された「簡素本」は、『ノヴゴロド第一年代期(ru)』(新輯本)の1016年の頁に記載されたものである。1016年の頁は、「ノヴゴロド公ヤロスラフが兄弟のスヴャトポルクをリューベチ近郊で破った後、キエフ大公位に就くと、この戦いでヤロスラフを支援したノヴゴロドの人々に金銭を与えて賞し、また「グラーモタ(ru)」(特許状)を与えた」という主旨の記述があり、この次に「簡素本」中の第1条 - 第18条(「ヤロスラフの法典」)が記載されている。この1016年を、『ルースカヤ・プラウダ』の原型が成立したとみなす説が、研究史上根強い。また、ヤロスラフがノヴゴロドの人々に法文を与えた背景については以下の考察がある。すなわち、ヤロスラフはスヴャトポルクとの戦いに際しヴァリャーグを傭兵に雇い入れていたが、彼らはノヴゴロドの人々に乱暴を働き、治安の乱れの元ともなっていた(これにより一時ヤロスラフとノヴゴロドの人々との間にも摩擦が生じていた)。そのような状況の元、1016年のスヴャトポルクとの戦いに臨み、ノヴゴロドのヴェーチェ(民会)は、ノヴゴロド兵の出兵の見返りとして、刑法の布告の約束をヤロスラフに求めていた、という経緯によるものだという指摘である。 第19条 - 第41条:「ヤロスラフの子らの法典」 - これらの条項の通称である「ヤロスラフの子ら」とは、イジャスラフ、フセヴォロド、スヴャトスラフの3人を指す。「簡素本」第19条の前に、「イジャスラフ、フセヴォロド、スヴャトスラフ、(以下5名中略。キエフの高官と推定される。)が収集し、ルーシの地に制定された法典」という主旨の一文があり、通称はこの一文に基づいている。条文制定の時期については、この一文に基づき、3兄弟の治世期(1054年 - 1072年)にこの期間の諸事件を加味して推定した諸説がある(日本語文献では、1054年 - 1068年間説、1072年説など)。一方、条文制定には3兄弟の父・ヤロスラフが関与しており(この立場では、「簡素本」第19条の前の一文は誤挿入とみなされる)、ヤロスラフの死去した1054年以前とみなす説もある。 第42条(ru) - この条文はヤロスラフが定めたものとされている。1024年 - 1026年間説、1020年代 - 1030年代間説、イリナルフ・ストラトノフ(ru)による1036年以降説などの他、ミハイル・チホミローホフ(ru)による、12世紀初頭以降とする説がある。 第43条 - 1020年代から1030年代とする説がある。 「拡大本」の各条項 第52条 - 第66条:「ウラジーミル・モノマフの法規」 - 第53条(「ヤロスラフの子らの法典の改定法典」を全51条とした場合には第52条)に、「ウラジーミル・フセヴォロドヴィチ(=ウラジーミル・モノマフ)のウスタフ(法規)。之はスヴャトポルクの死後、ベレストヴォに自身のドルジーナ、即ちキエフのトィシャツキー・ラチボル(ru)、ベルゴロドのトィシャツキー・プロコピー(5名中略)らを招集し決議したものである(以下、徴収に関する条文。後略。)」とあり、この部分の通称はこれに基づく。ウラジーミル・モノマフがキエフ大公位にあった(スヴャトポルクの死後にキエフ大公位に就いた。)時期(1113年 - 1125年)に編入された。なお一説には、ウラジーミル・モノマフによる法規と言えるものは、モノマフの名が言及されるこの第53条のみであるとみなす説がある。 「拡大本」としての集成は12世紀に行われた。 「簡素本」に対し、「拡大本」は、土地所有者の特権や、隷属民であるスメルド、ザークプ、ホロープに関する条項などに関する条文に、社会層の分化の進行が反映している。また、クニャージとボヤーレの所有地が発展し、その土地やその他の財産の所有権を守ろうとする動きが指摘しうる。さらに、商品・貨幣経済の発展によって生じた、法的規制の必要性により、契約締結の順序や、所有物の相続に関する条文が追補された。 「簡略本」の編纂 上記の2版に対し、「簡略本」の成立は大幅に後世であるとされる。アレクサンドル・ジミン(ru)は16世紀から17世紀の初めであるとし、ミハイル・チホミローホフは15世紀末としている。
※この「成立に関する諸説」の解説は、「ルースカヤ・プラウダ (キエフ大公国)」の解説の一部です。
「成立に関する諸説」を含む「ルースカヤ・プラウダ (キエフ大公国)」の記事については、「ルースカヤ・プラウダ (キエフ大公国)」の概要を参照ください。
- 成立に関する諸説のページへのリンク