慶長の大地震とは? わかりやすく解説

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けいちょう‐の‐おおじしん〔ケイチヤウ‐おほヂシン〕【慶長の大地震】

読み方:けいちょうのおおじしん

慶長9年12月1605年2月)に発生した大規模な地震犬吠埼から九州にかけての太平洋岸で津波発生し多数死者出した東海・南海・東南海連動型地震考えられる地震の規模マグニチュード7.9。慶長地震。→連動地震

慶長元年(1596)閏7月近畿地方襲った大地震京都伏見の間は特に被害大きく伏見城天守閣石垣方広寺大仏などが崩れ余震翌年4月まで続いた慶長伏見地震

[補説] 慶長年間には各地大規模な地震頻発した

慶長年間発生した主な地震

和暦西暦名称被災地規模被害
慶長元年7月9日1596年9月1日慶長豊後地震豊後M7.0大津波来襲別府湾沿岸家屋がほとんど流失死者708人。
慶長元年7月13日1596年9月5日慶長伏見地震畿内M7.5伏見城天守閣大破石垣崩れ500余人圧死。堺で死者600余人
慶長9年12月16日1605年2月3日慶長地震東海南海西海諸道M7.9津波犬吠埼から九州まで太平洋岸に来襲死者多数
慶長16年8月21日1611年9月27日慶長会津地震会津M6.9若松城下などで寺社家屋倒壊し死者3700余人
慶長16年10月28日1611年12月2日慶長三陸地震三陸沿岸北海道東岸M8.1沿岸家屋多数流出伊達領内死者1783人。北海道東部でも溺死多数


慶長大地震

(慶長の大地震 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/03 22:38 UTC 版)

慶長大地震(けいちょうおおじしん)は慶長年間(1596年 - 1615年)に日本列島で起こった地震慶長の大地震(けいちょうのおおじしん)ともいう。ただし、正確には慶長伊予地震、慶長豊後地震、慶長伏見地震発生は文禄5年であり、その後、これらの天変地異を期に文禄から慶長に改元されているため、歴史年表上では慶長元年となる。

なお、1596年に起こった複数の地震は記録の日付が錯綜しており、慶長豊後地震発生の日は9月1日[1]、9月4日説[2]、あるいは両方に起こったとするものもある[3]。また、1605年の慶長地震は定説であった南海トラフ震源ではないという異論も出され[4][5]、さらに従来三陸沖が震源とされてきた1611年の慶長三陸地震も北海道太平洋沖に震源を持つ超巨大地震との説が出されるなど[6]、震源域に諸説あって不明なものも多い。

慶長年間の主な地震

発震日時は全てグレゴリオ暦

  • 慶長伊予地震 - 1596年9月1日、伊予国をおそった地震。M7.0、寺社倒壊等。中央構造線断層帯の四国西部部分が震源断層と推定される。元々豊後地震の一部とされたが、別の地震として分離し仮定されたもの[7][8]。豊後地震と同一地震の可能性もあるとされる[9]
  • 慶長豊後地震[10] - 1596年9月1日または9月4日、豊後国をおそった地震。M7.0-7.8、死者700人以上。中央構造線断層帯の西にある別府湾-日出生断層帯東部が震源断層と推定される。
  • 慶長伏見地震[11][12][13][14] - 1596年9月5日、畿内をおそった地震。M7.0〜7.1、京都で死者合計1,000人以上。伏見城天守石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。有馬-高槻断層帯六甲-淡路島断層帯、中央構造線断層帯の四国東部部分などが震源断層と推定される。
  • 慶長地震[15] - 1605年2月3日、関東以西の太平洋沿岸をおそった津波。被害記録のほとんどは津波によるもので、地震動に関する確かな記録は乏しい。現在の千葉県から九州に至る広範囲の太平洋岸に津波が襲来した。死者が多く発生し、例えば宍喰で3800人余りとする記録もあるが、当時の人口規模から見てその数は疑問視される[16]。従来震源断層は南海トラフ沿いで津波地震[17]と考えられていたが、紀伊半島沖と房総沖が連動したとするもの、伊豆・小笠原海溝とするものや、例えばパプアニューギニアなどの国外からの遠地津波も否定できないとする異論もある。
  • 会津地震 - 1611年9月27日、会津藩をおそった地震。M6.9。寺社損壊、死者約3,700人。
  • 慶長三陸地震[18][19] - 1611年12月2日、奥羽蝦夷地太平洋沿岸をおそった津波。被害記録のほとんどは津波によるもので、仙台藩で人の死1,783、南部藩津軽藩で人馬の死3000余。従来震源は三陸沖の日本海溝沿い考えられていたが、津波の痕跡の範囲などからこの定説に疑義があるとされ、南千島沖・北海道太平洋沖の震源と連動した大地震・津波だったとする説もある。地震被害の記録はほとんど無い。
  • 慶長十九年十月二十五日の地震 - 1614年11月26日に発生したとされる地震。従来高田領大地震とされたが、会津から松山に至る日本各地に被害記録がある。しかし京都以外の記録は地震から年月が経過した後世に記された史料であり、信憑性が低いとされ[20]、震源は不明。

出典

  1. ^ 大森房吉, 1913, 本邦大地震概説 震災豫防調査會報告 1913年 68巻 2号 p.1-180, NAID 110006605117
  2. ^ 今村明恒, 1929, 慶長元年閏七月の豊後大地震史料(序説, 同地震に関する史料, 大分市史, 速見郡史, 佐賀関史, 雉城雑誌), 地震, 1, 1, 289-299.
  3. ^ 松崎伸一・日名子健二・平井義人, 2018, [講演要旨]1596年豊後地震の発生日に関する考察 (PDF) , 歴史地震, 第33号, 260.
  4. ^ 松浦律子「1605年慶長地震は南海トラフの地震か?、第30回歴史地震研究会(秋田大会)」2013年
  5. ^ 石橋克彦、原田智也「1605(慶長九)年伊豆-小笠原海溝巨大地震と1614(慶長十九)年南海トラフ地震という作業仮説」日本地震学会2013年秋季大会講演予稿集、2013年、D21‒03
  6. ^ 平川一臣「千島海溝・日本海溝の超巨大津波履歴とその意味」『科学』82巻2号、2012年、172-181頁。  NAID 40019140919
  7. ^ 中西一郎・弘瀬冬樹, 2015, 1596年慶長伊予豊後地震:伊予地震と豊後地震への分離, 日本地震学会講演要旨集, S10-08.
  8. ^ 松岡祐也, 2015, [講演要旨]文禄五年(1596)地震における瀬戸内海周辺での被害状況 (PDF) , 歴史地震, 第30号, 213.
  9. ^ 石橋克彦, 2019, [講演要旨]文禄五年(1596)の豊後地震と伊予地震が同一地震(閏七月九日)である可能性 (PDF) , 歴史地震, 第34号, 231.
  10. ^ 今村明恒「大寳元年及び慶長元年の陷沒性本邦大地震に就て」『帝國學士院紀事』4巻3号、1946年、369-384頁。 doi:10.2183/tja1942.4.369
  11. ^ 永島福太郎「世紀末と慶長大地震」『日本歴史』584号、吉川弘文館、1997年、89-91頁。  NAID 40003068400
  12. ^ 谷弥兵衛「吉野材木業史試論」『林業経済研究』47巻2号、1-8頁。 
  13. ^ 大森房吉「本邦大地震概表」『震災豫防調査會報告』 88(乙)、1919年、1-61 NAID 110006606205, hdl:2261/17374
  14. ^ 内藤昌, 大野耕嗣, 高橋宏之、「伏見城 (II) : 武家地の建築 : 近世都市図屏風の建築的研究 : 洛中洛外図・その 4」『日本建築学会論文報告集』 182巻、1971年、p.65-75,90, doi:10.3130/aijsaxx.182.0_65
  15. ^ 渡辺偉夫「改訂日本およびその周辺の津波の表」『地震 第2輯』36巻 1号、1983年、p.83-107doi:10.4294/zisin1948.36.1_83
  16. ^ 石橋克彦(2019), [論説]1605年慶長津波を記す「阿闍梨暁印置文」の史料批判 (PDF) , 歴史地震, 第34号, 31-40.
  17. ^ 石橋克彦「1605 (慶長9) 年東海 南海津波地震の地学的意義」『地震学会講演予稿集』第1巻、1983年、96頁、 NAID 10004725302 , 石橋克彦の歴史地震研究のページ アーカイブ
  18. ^ 杉本賢司「巨大地震の調査と対策(建材探訪) 」『Finex』23巻136号、2011年5月、 38-42 NAID 110008685879、日本建築仕上学会
  19. ^ 飯沼勇義『仙台平野の歴史津波 巨大津波が仙台平野を襲う』 宝文堂、1995年
  20. ^ 萩原尊礼藤田和夫 『古地震 -歴史資料と活断層からさぐる』 東京大学出版会、1982

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