慶派以外とは? わかりやすく解説

慶派以外

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:13 UTC 版)

鎌倉文化」の記事における「慶派以外」の解説

吉野水分神社玉依姫命像奈良県吉野郡吉野町国宝女神像称しながら、袿を着て、頬にはえくぼが刻まれ、黛をつけ、唇をかすかにひらいて鉄漿をつけた歯をみせており、当時高貴な女性の姿を写した坐像考えられる。像内に1251年建長3年)の銘があり、寄木造技法からみて仏像作家の手になるものと考えられ慶派可能性もある。 浄瑠璃寺吉祥天立像京都府木津川市重要文化財復古的な像の一例であり、入念な彩色古風にみえるが、豊満な顔や手、衣服写実的表現鎌倉時代らしさを看取することができる。ヒノキ材の一木割矧造截金施される制作年代1212年建暦2年)である。仏教尊像としての威厳と、現実女性思わせる官能美が調和した傑作として知られる伝香寺地蔵菩薩立像奈良県奈良市重要文化財寄木造玉眼嵌入。像内納入願文によれば83歳の妙法という尼が主となり、仏子貞隆、尼唯心とともに亡母追善供養来世男子への転生祈願などさまざまな願いをこめて1228年安貞2年)に造立された。寄木造玉眼嵌入作者善派善円。別名「裸地」とも呼ばれる裸形着装像であり、ふだんは本物袈裟着せられる着せ替え人形のように袈裟交換日々慰みとしたことが考えられるまた、胎内10センチメートル十一面観音像や緑瑠璃舎利壺に納めた2センチメートル薬師如来像などの納入品が納められており、当時多様な信仰一端示している。 高徳院阿弥陀如来像神奈川県鎌倉市国宝通称鎌倉大仏」あるいは「長谷の大仏」として有名な像。『吾妻鏡』によれば1238年暦仁元年)に僧浄光の勧進によって造仏開始し1243年寛元元年)に供養があったとされるが、同時期に書かれた『東関紀行』ではこれを木仏記している。大風などで倒壊したため造で再び造られたものと考えられ、それが『吾妻鏡』中の1252年建長4年)に金銅八丈釈迦如来鋳造はじめたという記事であろう考えられる完成年不明だが、これが現在の大仏であり、完成当初金箔施されていた。初め仏殿があったが1369年応安2年)に倒壊し以後露仏となっている。素材日宋貿易などで得た中国であったことが判明している。与謝野晶子が「美男におはす」と詠んだことでも知られる明月院上杉重房像神奈川県鎌倉市重要文化財前代までにはみられなかった武人俗体像である。作者不詳ながら、人物の風貌写実的に表現した木造彫刻傑作とされる上杉氏の祖上杉重房鎌倉時代中期人物本姓藤原氏宗尊親王幕府6代将軍就任する際に近侍した。親王より丹波国上杉荘賜ったことから上杉称し親王帰洛後も鎌倉幕府仕えた。なお、武人俗体像としてはこの像のほかに、建長寺北条時頼像、東京国立博物館の伝源頼朝像、満昌寺三浦義明像などがある。

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