愛されたキャラクター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/19 19:08 UTC 版)
生粋の江戸っ子であるため大変に口は悪いが実はとても優しい人柄であった。妻との二人暮らしで子供がいなかった岡田にとっては「チームは家族、ファンと選手は我が子」のような存在であったと公言しており、そんなところに惹かれて私設応援団に入る若者も多かった。岡田が結成した私設応援団は、「試合中はグラウンドに背を向け、ひたすらに観客席を盛り立てる事に専念する」という独特のスタイルを貫いており、岡田は「試合の展開は客席のお客さんを見ていれば分かる。お客さんが一斉に上を向けばフライを打ったと言う事だろ!」と言い、団員がグラウンドに視線を向けると「試合を見ていてどうするんだ!」と叱り飛ばしたと、岡田の死後に応援団を引き継いだ団員の一人はテレビの取材に答えていた。岡田はファンに対しては優しく接する一方で、応援団員に対しては徹底した指導を行った事でも知られており、家業を終えた後ラッキーセブンの時間帯に神宮球場に岡田が入場すると、応援団の声援が一層引き締まったものになり、岡田が瓶ケースを用いたお立ち台の上に登り応援の指揮を執り始めると、客席のファンの間から「岡田」コールが巻き起こる光景が風物詩ともなっていた。 その類まれなキャラクターから、スワローズファンである漫画家のいしいひさいちが自作『がんばれ!!タブチくん!!』に登場させ同作のアニメ化によって広く知られるようになった(ただし、漫画では本業は青果店。また、劇場版アニメでは西武ライオンズの応援団長として登場した)。『おじゃまんが山田くん』にも「オカダ教授」として登場し、アニメ版OPではヤクルトスワローズの帽子をかぶってフライパンを叩いている。お笑いタレントのビートたけしは1980年代から「ヤクルトの応援団長の岡田さん」というネタを披露していたが1991年に「スポーツシャワー〜ヒーローに花束を〜」で初共演。その強烈なキャラクターでたけしを完全に食ってしまっていた。この時、国鉄スワローズがサンケイアトムズを経てヤクルトスワローズと三度名称が変更されていく中で、「このチームは消滅まで一度も優勝できないかもしれない」と本気で考えた時期もあった事、自身の葬儀の際には「東京音頭」で見送って欲しい事などをたけしに語っている。 またそのキャラクターは選手にも愛され、1978年の初優勝時には大杉勝男に招かれ場内をトロフィーをひいて(当時のセ・リーグ優勝トロフィーは山車のように車輪と紐がついていた)一周した。選手とファンが共にトロフィーをひくというのは大変に珍しいことであった。初優勝時の広岡達朗監督をはじめ、歴代のヤクルト監督就任の際には岡田に挨拶に行くのが恒例になっていた、さらに挨拶に行った監督自身岡田ファンのひとりになって帰っていくのである。選手からの人気も高く池山隆寛、荒木大輔、岩村明憲らは大いに岡田のことを慕った。2002年10月17日に神宮球場で行われた池山の引退セレモニーでは、挨拶に立った池山がライトスタンドに向かって「応援団長、岡田のオヤジ、ありがとう」と感謝の意を述べ、球場に詰めかけたファンの涙を誘った。 晩年は肺を患っていたため東京以外に応援に行くことはなかったが、北海道のファンは飛行機のチケットを手配して岡田を招いていたという。岡田の葬儀の際には古田敦也などスワローズ関係者の多くが供花を捧げ、生前の遺志の通りツバメ軍団メンバーによる東京音頭の吹奏の中、大勢のスワローズファンが打ち振るビニール傘に見送られて出棺していく様子がワイドショーでも報じられた。
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