性格の概観とは? わかりやすく解説

性格の概観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 17:09 UTC 版)

足利尊氏」の記事における「性格の概観」の解説

尊氏人間的な魅力を、個人的に親交のあった夢窓疎石次の3点から説明している(『梅松論』)。 1つ、心が強く合戦で命の危険にあうのも度々だったが、その顔には笑み含んで、全く死を恐れ様子がない。 2つ生まれつき慈悲深く他人を恨むということ知らず多く仇敵すら許し、しかも彼らに我が子のように接する。 3つ、心が広く物惜しみする様子がなく、金銀すらまるで土か石のように考え武具や馬などを人々下げ渡すときも、財産とそれを与える人とを特に確認するでもなく、手に触れるに任せて与えてしまう。 1つ目の戦場での勇猛さだが、ある戦場で矢がのように尊氏頭上降り注ぎ近臣危ないからと自重促すと、「やはり」尊氏笑って取り合わなかったという。『源威集でも、文和4年1355年)の東寺合戦危機的状況陥った際、尊氏は「例の笑み」を浮かべ、「合戦負ければそれでお終いなのだから、敵が近づいてきたら自害する時機だけを教えてくれればよい」と答え全く動揺することがなかった、という。『源威集』の著者は「たとえ鬼神が近づいてきたとしても、全く動揺する気配がない」と尊氏胆力褒めちぎっている。 2つ目の敵への寛容さも、畠山国清斯波高経など一度敵方走ったものでも、尊氏降参すればこれを許容し幕閣迎えている。 3つ目の部下への気前良さは、『梅松論』にある八朔逸話によって窺い知ることができる。当時旧暦8月1日贈答しあう風習流行し尊氏のもとには山のように贈り物届けられた。しかし、尊氏届いたそばから次々と人にあげてしまうので、結局その日夕方には尊氏のもとに贈り物何一つ残らなかったという。 こうした姿勢戦場でも同様で、尊氏戦場功績上げた者を見ると、即座に恩賞約束するかな書き下文(「軍陣下文」と呼ばれる)を、相手直接与えている。これは、すでに権利者のいる所領を再び別人与えてしまう事例発生し、後の史料には100年先まで紛争の種となり、尊氏の子孫たち悩ましている例すらある(「御前落居記録」第18項)。それでも、戦場下文がもつ即時性効果大きかったまた、佩用していた腰刀直接家臣二人与えた例や、自身所用する軍扇与えたこともある。こうした鷹揚無頓着な尊氏見聞きした家臣たちは、みな「命を忘れて死を争い勇み戦うことを思わない者はいなかった」といい(『梅松論』)、これが尊氏最大人間的魅力だった。 一方、『梅松論』には、尊氏合戦苦戦した際、すぐ切腹すると言い出し周囲慌てさせたり、後醍醐天皇背いて朝敵となったことを悔やみ一時出家宣言してしまうなどの記述もある。尊氏正月書き初めで、毎年天下政道、私あるべからず生死根源早く切断すべし」と書いたと伝えられる歴史表舞台立った尊氏は、その性格ゆえに周囲動向振り回され傷つき、また自身無意識に周囲を傷つけてしまう苦悩背負うこととなった

※この「性格の概観」の解説は、「足利尊氏」の解説の一部です。
「性格の概観」を含む「足利尊氏」の記事については、「足利尊氏」の概要を参照ください。

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