庭園形式の概要とは? わかりやすく解説

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庭園形式の概要

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/27 01:36 UTC 版)

浄土式庭園」の記事における「庭園形式の概要」の解説

日本浄土思想伝来した時期早く仏教日本に伝来したときとされる538年には同時に中国から朝鮮半島経て日本に伝来した。この思想広まり始めるのは奈良時代にはいってからで、このころ思想平安中期以降のように自分死後極楽浄土往生することを願ったではなくもっぱら故人追善する慰霊あるいは自分両親報恩的な性格のものとして捉えられていた。 初期の形態は、寺院の主要建築である金堂阿弥陀堂前面に池をつくり植え花園設けるなどしたもので、薬師寺法華寺浄土院など奈良時代にそのきざしがみられる平安期流行した寝殿造の庭とは違って、ここでは中心建築寝殿から阿弥陀堂変わっている。この形式伽藍配置には池の占めウェイトが非常に大きい。華麗な堂塔が池面に映る姿は浄土空想させたであろう11世紀末からおよそ80年間にわたり造営され白河院鳥羽離宮平安京の南、鴨川接した風光明媚な土地で、従来からも別荘地であった。この地に東西1.5キロメートル南北1キロメートル区域占めた離宮つくられた。池は東西6町、南北8町あり、池に数個中島浮かんでいた。白河院自慢にしていた庭園で、池を中心に南殿北殿などの住宅安楽寿院などの堂塔同居し浄土形式構成であった。 ほかに藤原道長法成寺藤原頼通平等院など、また阿弥陀堂東面に池が掘られるという浄瑠璃寺のような場合もある。 この浄土形式建築と庭は、12世紀初期には京都より遠く離れた東北平泉造られ、今も庭園遺跡とどめている。中尊寺藤原基衡つくった毛越寺比較原形をとどめ、新たに石組み発掘されている。また基衡の夫人つくった観自在王院、娘のつくった白水阿弥陀堂は、庭園発掘復原して公開されている。 このほか平安時代中期には池亭はじめとして法界寺法勝寺末期には鳥羽院殿、法金剛院円成寺法住寺殿鎌倉時代には永福寺北山殿称名寺など、この形式庭園事例比較的多い。

※この「庭園形式の概要」の解説は、「浄土式庭園」の解説の一部です。
「庭園形式の概要」を含む「浄土式庭園」の記事については、「浄土式庭園」の概要を参照ください。

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