広域捜査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 11:59 UTC 版)
「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」の記事における「広域捜査」の解説
富山事件では、(合同捜査本部設置後に)死体発見場所を管轄する岐阜県警と、被害者Aの居住地を管轄する富山県警が合同捜査を行い、重要参考人としてM・北野の両名を取り調べたが、その取り調べは(富山県の実情にあまり詳しくない)岐阜県警の捜査員が担当した。 長野事件では、被害者Bが誘拐された3月5日前後から、長野市内で富山ナンバーの赤いフェアレディZと、トンボメガネの女 (M) が目撃されていたことから、長野県警は公開捜査への切り替え前からM・北野両名の関与を疑い、28 - 29日ごろには「ぜひうちに(2人の身柄を)引き渡してほしい」と要望した。しかし、当初は「顔見知りによる犯行」という見方を捨てきれず、富山まで捜査員を派遣するまでには至らなかった。また、富山県警側も「犯人は我々が逮捕する」と譲らず、両県警の意見が激しく対立したほか、両事件に関する情報交換も十分に行われなかった。両県警とも管轄する管区警察局が異なることから、同じ管区警察局が管轄している都道府県警察同士の場合と比べて調整が難しく、最終的には警察庁が「人命が懸かっている」と判断したことで、長野県警が最初に2人を逮捕することとなった。しかし、逮捕後も両県警の対立は続き、警察庁が4月1日夜に捜査一課長の加藤晶を両県警および岐阜県警に派遣し、調整に乗り立たせる事態になった。また、事件解決後も両県警は自白を得ようと躍起になる一方、拙速な捜査で裏付けを取らず、それも冤罪の一因となった(後述)。 このように、広域捜査の中で県警同士の「縄張り争い」「功名争い」意識により、相互の連携・意思疎通が不十分に終わったことが指摘され、後藤田正晴国家公安委員長は、同年4月3日の参議院予算委員会で、山崎昇(日本社会党)からの「初動捜査にミスがなければ、長野事件を防げたのではないか」という質問に対し、「(富山・岐阜・長野・群馬の)各県警は全力で捜査に努めてきたが、事件が数県にまたがったことから、熱心さのあまり捜査に隙が出がちだった。各県警の間に“敷居”があるのは事実だ」と答弁し、「捜査ミスを事実上認める答弁」と報じられた。警察庁は本事件を教訓に、「今後、複数の都道府県・管区警察局にまたがるような広域事件は増加する」と予測し、全国の警察が一体となって情報交換などを行えるようにするため、同年5月上旬にも警察庁と各管区警察局に広域捜査指導官を置き、都道府県警察にも広域捜査官を指定する方針を決めた。本事件を教訓に、隣接する複数県警が合同で誘拐訓練を行うようになった。
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