幕内昇進から三役定着まで
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「豪栄道豪太郎」の記事における「幕内昇進から三役定着まで」の解説
晴れて新入幕となった2007年9月場所は西の14枚目の番付で、2日目に栃煌山戦で負けた以外は白星を連日積み重ね、11日目の時点で10勝1敗の好成績を挙げ新入幕力士ながらも優勝争いに加わり日を追うごとに存在感を見せつけた。11日目に新横綱・白鵬が2敗目を喫したために優勝争いの単独トップに躍り出る。そのため12日目からは上位の役力士らとの対戦が3日連続で組まれ、12日目には安馬(のちの横綱・日馬富士)、13日目には大関・千代大海、14日目には横綱の白鵬と対戦するがいずれも勝てなかった。新入幕の力士が最高位の横綱と対戦するのは戦後4人目に数えられる記録とされ、1995年7月場所2日目の新入幕土佐ノ海と横綱・貴乃花以来12年振りの極めて珍しい事態となった。優勝争いからは外れるも、最終的には新入幕で11勝4敗の好成績を挙げ、初の敢闘賞を受賞し次代を担う若手有望株と目される場所となった。続く11月場所では番付上位へ躍進し2日目から6連勝、後半に負けが込んだものの8勝7敗と勝ち越しを決めた。東前頭3枚目の位置まで番付を上げた翌2008年1月場所では、3日目に大関・琴光喜を破り大関戦初勝利を挙げたものの、結果的には5勝10敗と、自身の入幕後において初めての負け越しを喫した。西前頭5枚目の位置で迎えた同年9月場所では10日目の時点で9勝1敗と好調ぶりを示し、横綱・大関ら上位陣には不戦勝の朝青龍を除いて1勝もできなかったものの、10勝5敗という好成績を挙げて2回目の敢闘賞を受賞し、翌11月場所において新三役となる東小結へと昇進した。その11月場所では5勝10敗と大敗したものの、平幕へ陥落した翌2009年1月場所で10勝5敗の好成績を挙げて初の技能賞を受賞し、翌3月場所で小結へ復帰した。その3月場所では白鵬と朝青龍の両横綱には敗れたものの、千代大海・琴光喜・琴欧洲の3大関と把瑠都・稀勢の里の両関脇を破り9勝6敗と勝ち越しを決め、翌5月場所に西関脇に昇進した。2009年5月場所は初日から3日連続大関に勝ったが、その後3勝9敗で6勝だった。2010年1月場所5日目に対横綱戦の初勝利となる金星を朝青龍から挙げ座布団の雨を降らせたが、この場所後に朝青龍は自身の問題行動による引退を表明したため、結果的に豪栄道が朝青龍にとって最後の金星配給の相手となった。 2010年に発覚した大相撲野球賭博問題では野球賭博に関与したということで、特別調査委員会から謹慎休場を勧告され同年7月場所を休場し、翌9月場所の番付は十両への陥落を余儀なくされた。この問題で法的には、2011年3月3日に賭博開帳図利容疑で書類送検された。場所中の名古屋では宿舎からの外出禁止が厳しく言い渡された。自責に駆られ引退の可能性も口にしていたようだったと母からの証言もあり、思い悩んだ謹慎時に一緒に苦しんでくれた師匠の元で相撲の稽古に精進した。 東十両筆頭の位置で迎えた2010年9月場所で12勝3敗の好成績を挙げて周囲との実力差を示し、1場所での幕内復帰を果たす。翌11月場所でも12勝3敗という好成績を挙げた。続く2011年1月場所でも11勝4敗と大勝し、翌5月技量審査場所でも3場所連続しての二桁勝利となる11勝4敗(4大関も撃破)の好成績を挙げて2回目の技能賞を受賞した。翌7月場所では再び東小結へ昇進したものの、その7月場所では5勝10敗と大敗した。2012年3月場所では西前頭6枚目の位置で12勝3敗という好成績を挙げて3回目の敢闘賞を受賞。
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