希望の党、国民民主党
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2017年の第48回衆議院議員総選挙に希望の党公認で千葉9区から立候補し、選挙区で秋本に3連敗するが、重複立候補の比例南関東ブロックで再び復活して4選される。 2018年5月7日に、民進党と希望の党が合流して結党された国民民主党に参加した。5月8日に国民民主党の総務局長となる。その後、財政局長、国会対策委員長代行に就任。 2019年2月の衆院予算委員会では、東京新聞社会部記者の望月衣塑子と官房長官の菅義偉(当時)の対立について踏み込んだ質問を行った。官邸報道室は2018年12月26日、内閣記者会に対して望月を念頭に「事実に反する質問」「度重なる問題行為」などと指摘し、事実を踏まえた質問をするよう要請。奥野はこの要請内容を踏まえ、「報道の自由への干渉だ」「事実に基づかない取材を封じるということは、まさに取材の自由、表現の自由、国民の知る権利を封じることにつながる」などと菅を追及。菅は「取材じゃないと思いますよ。決め打ちですよ。事実と異なることを記者会見で、それを事前通告も何もないわけですから、私だって全て承知しているわけじゃありませんから」と発言した。この菅の答弁は、望月の質問を事実と異なると認識している証左として注目された。 2019年秋ごろから、立憲民主党への合流・合併を主張し始め、立憲への合流・合併を推進する中堅・若手グループのリーダー格として動く。
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希望の党・国民民主党
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2017年9月25日、東京都知事の小池百合子を代表とする「希望の党」が設立。同年10月3日、希望の党は第48回衆議院議員総選挙の第1次公認192人を発表した。泉もその中に含まれ、4区前職の北神圭朗、6区前職の山井和則と共に京都府内の申請者が全て公認された。そのため、府内の民進党出身者の中では、民進党を離党した枝野幸男が結成した新党「立憲民主党」に参加する前議員はいなかった。 同年10月22日の衆院選で4人の候補者を破り、7選。自民党の木村弥生と日本維新の会の森夏枝は比例復活で当選した。11月の希望の党共同代表選挙後の党役員人事では国会対策委員長に就任した。 2018年5月7日、民進党と希望の党の合流により結成された国民民主党に参加し、希望の党に引き続いて国民民主党でも国会対策委員長に就任した。9月11日より党政務調査会長。
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希望の党・国民民主党
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代表辞職直後の2017年11月2日に民進党に離党届を提出し、同日受理された。同月6日に希望の党に入党届を提出、14日に了承された。11月16日、衆院選における希望の党への合流を振り返り、「民進党のまま戦っていたら、もっとひどいことになっていた。私は一貫して間違っていない。この道しかなかった」と述べた。 2018年5月7日、民進党と希望の党の合流により結党された国民民主党に参加した。同年8月、国民民主党京都府連の会長に就任。9月の国民民主党代表選挙では、自身が2度の民進党代表選挙で掲げた"All for All"に主張が近かったことを理由に、津村啓介に投票した。 2020年8月15日、国民民主党と立憲民主党との合流新党(新・立憲民主党)に参加せず、国民残留組の新党に加わる考えを表明した。9月15日に新・国民民主党の設立大会が開かれ、党代表代行に就任した。 2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で10選。同年12月より党選挙対策委員長兼任。
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