党の設立とは? わかりやすく解説

党の設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/20 14:51 UTC 版)

エチオピア労働者党」の記事における「党の設立」の解説

1984年9月12日1974年クーデターから10周年迎え遂にエチオピア労働者党正式に結党された。COPWEは廃止されエチオピア労働者党がそれに取って代わった。123議席だった中央委員会183議席拡大され党中央委員会5年ごとに開催されることが決定された。またこの時、メンギスツは党の最高指導者である党書記長就任している。 COPWEの執行機関だった執行委員会政治局となり、政策決定の最高指導機関となった政治局員11名のうち7名は旧軍政権幹部残り4名は文民共産主義者テクノクラート構成された。メンギスツいかなる反対勢力よりも優位に立つことを望み粛清行なった。この粛清では同志であるはずのマルクス主義者までもが処刑されている。政治局員選出過程では縁故主義はびこりメンギスツ反対する者はわずかであった。党の全ての協議体は、政策立案機関というよりも、メンギスツ意見代弁するためだけのものとなっていた。 国家レベルでは、党員大半軍人か、もしくは特定の民族偏っていた。特定の民族とは、歴史的にエチオピア主義賛同してきたティグレ族アムハラ族のことである。しかし地方レベルになると、特定民族軍人であるかはさして問題とならず多く民族文民権力の座に就くことができた。 エチオピア労働者党は「国家開発工程組織化し国家社会の力を指導する役割を果たす」ことを目的としており、1987年制定され新憲法ではその文言挿入された。そして公式に軍事政権解散し国名エチオピアからエチオピア人民民主共和国改称文民統治への移管発表した。この憲法では政府よりも党に強大な権限付与されており、党の地方指導者には、中央の意向とは矛盾しないという条件で、ほぼ無制限支配権与えられた。

※この「党の設立」の解説は、「エチオピア労働者党」の解説の一部です。
「党の設立」を含む「エチオピア労働者党」の記事については、「エチオピア労働者党」の概要を参照ください。

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