党の活動と人民議会選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/23 10:18 UTC 版)
「東ドイツ緑の党」の記事における「党の活動と人民議会選挙」の解説
東ドイツ緑の党は1990年2月から4月にかけて、ハンス・モドロウ内閣にマティアス・プラツェック(のちに社会民主党へ移籍してブランデンブルク州首相)を無任所相として送り込み、東ドイツ最初で最後の自由選挙となった3月18日の人民議会選挙では独立婦人同盟(Unabhängiger Frauenverband, UFV)との統一名簿で8名を当選させた。選挙後は民主化を求めたリベラルな草の根運動市民団体をルーツとする同盟90と統一会派を組み、共同歩調をとるようになった。
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