新政治連合離党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 08:00 UTC 版)
大統領選後、新政治民主連合(新政治連合)の常任顧問として政治の第一線から退いていたが、2015年1月11日、新政治連合を脱党して市民団体が主導する野党新党の準備組織である「国民の会」に合流することを表明した。同年3月30日、4月末に行われるソウル市冠岳区乙選挙区の国会議員補選に無所属で出馬。在野進歩勢力を結集し「第1野党審判」を掲げて選挙戦を戦ったが、当選したセヌリ党と新政治連合に次ぐ3位の得票に留まり落選した。 2016年2月、新政治連合を離党した安哲秀が結成した国民の党に合流。同年4月の総選挙では故郷である全羅北道全州市丙選挙区(徳津区の一部)から立候補し、最大野党である共に民主党候補を抑えて4回目の当選を果たした。 2018年2月、安哲秀が進めた国民の党と保守政党の正しい政党との合併(正しい未来党の設立)に反発し、国民の党を離党して民主平和党の結党に加わる。 2018年8月5日に民主平和党の代表に選出された。
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