立憲改進党の設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 06:59 UTC 版)
野に下った大隈は、辞職した河野、小野梓、尾崎行雄、犬養毅、矢野文雄らと協力し、10年後の国会開設に備え、明治15年(1882年)4月には立憲改進党を結成、その党首となった。また10月21日には、小野梓や高田早苗らと「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」を謳って東京専門学校(現・早稲田大学)を、北門義塾があった東京郊外(当時)の早稲田に開設した。明治20年(1887年)、伯爵に叙され、12月には正三位にのぼっている。
※この「立憲改進党の設立」の解説は、「大隈重信」の解説の一部です。
「立憲改進党の設立」を含む「大隈重信」の記事については、「大隈重信」の概要を参照ください。
- 立憲改進党の設立のページへのリンク