老人福祉党の設立から分裂まで
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「日本福祉党」の記事における「老人福祉党の設立から分裂まで」の解説
1986年2月27日 「老人福祉党」結党。代表は有田正憲、副代表は林隆造。 林隆造 - 元自衛官、1976年の第11回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で立候補。 同年の第14回参議院議員通常選挙に、確認団体として比例代表区に有田、林以下、前川逸男、吉川朝臣、花輪春造(治三)ら10名を擁立し、223,532票(得票率0.50)を獲得するが、全員落選した。 前川逸男 - 医師、「国民政治連合政策研究会」代表、「政治をよくする会」代表。1980年の第12回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で、1983年の第37回衆議院議員総選挙に三重2区から「政治をよくする会」で、各々立候補。 吉川朝臣 - 1976年の第34回衆議院議員総選挙に神奈川1区から無所属で、1980年の第12回参議院議員通常選挙に「日本国民政治連合」で、神奈川地方区から立候補。 1987年 代表が植井和市、会計責任者が花輪治三(春造)に交替し、事務所所在地が福田拓泉・撫子夫妻の東京都足立区内の住所と同一になる。 1988年 代表・会計責任者が有田よし子(佐々木よし子)に変更され、埼玉県川口市に移転するのとほぼ同時に、林隆造を代表にして「老人福祉研究会」が東京都新宿区に別個に設立される。
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