小泉純一郎に対する評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 13:34 UTC 版)
小泉については「良い意味での合理主義者」と評し、それ故「党の役職をお願いしても逃げ回っていた」と述べている。このような行動様式は小沢一郎と類似点があるという見方をしているが、郵政民営化、道路公団改革のいずれもかなり以前より公約していたのに対して、小沢は細川連立政権時代の国民福祉税構想などを例示して、「何の前触れもなく、突然えげつないことをやってのける傾向がある」と評している。 ただし、小泉は自身が総理の時に派閥の統率を仕切り、加藤の乱のときにも収拾に奔走してくれたため、その件については感謝の気持ちを明らかにしていた。内閣発足当初の異常な人気については初期から自民党には冷静な対応が求められるとの見解であった。それは、小泉個人の支持が党への支持と必ずしもリンクしていないこと、周到に図った上での演出でしかなく、選挙において決め手は個人個人の地道な戦いであると見ていたことによる。また、徹底した反田中の派閥政治家であるとも見なしており、道路公団改革も郵政民営化も田中派の金城湯池をつぶすことが第一の目標だったと見ていた。ただし、論座でのインタビューでは結果として田中派への打撃になったが、それだけが目的ではなく、小泉ならではの正義感に従った行動だという旨の分析も示している。 ただし、内閣発足時、および初期の内閣改造の際に、田中派の後継組織である平成研究会を冷遇した際には、「やり過ぎ」と釘を刺している。また、靖国神社に参拝して中国・韓国との関係を悪化させたことにも批判的であった。小泉は2003年7月10日発売の『中央公論』8月号でも「秋の総裁選の公約が総選挙の公約になる」などと強気の発言をしていたが、官邸で森が「総選挙の票読みをしてみると決してうまくいかないよ」と話した際には、投げやりで無責任な返事をした。中川秀直が「国家に対する責任はどうするんですか。あなたは自民党が壊れればいいんですか」と気色ばんで迫り、小泉は「物の譬えだ」と詰まらせていたと言う。 また、小泉が田中派的な業界団体を叩くことができたのは、地元の横須賀の経済が米軍と自衛隊の基地から落ちる予算で持っており、公共事業で経済を活性化させる類の苦労が少なかったことも一因だと指摘している。森も地元に小松基地があるため、ある程度似た事情を抱えている。これは旧防衛施設庁(2007年防衛省に統合)による「防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律」等による周辺対策事業を指す。本来の目的は基地という全国レベルの国防サービスに使用する公共財が特定の場所に存在することによる外部不経済の緩和であった。対象地域には根上町も含まれ、父の茂喜は地元自治体と防衛施設協会の対談で心情を語っている。 詳細は「森茂喜」を参照 首相を支える立場上、テレビ番組では小泉のことを「圧力団体にも選挙区にもペコペコしない」と弁護したが、実際に選挙区に戻る頻度が少なく、後援会長の一人は一年で小泉と会う頻度より森と合う頻度の方が高かったと言う。
※この「小泉純一郎に対する評価」の解説は、「森喜朗」の解説の一部です。
「小泉純一郎に対する評価」を含む「森喜朗」の記事については、「森喜朗」の概要を参照ください。
- 小泉純一郎に対する評価のページへのリンク