小泉純一郎と中曽根の確執
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「上州戦争」の記事における「小泉純一郎と中曽根の確執」の解説
2003年(平成15年)の衆院選で、森派(旧福田派、現在の細田派)の小泉純一郎総裁は、比例代表に73歳定年制を導入。中曽根に比例北関東ブロック終身一位を約束した橋本裁定を一方的に破棄した。中曽根はこれに対して「政治的テロ」と反発し、懸命に生き残りをはかり小選挙区からの出馬も検討したが、結果的に引退に追い込まれてしまった。 2004年(平成16年)に、中曽根弘文の参議院議長就任が濃厚になっていたが、土壇場で扇千景を議長にし、中曽根は予算委員長に追いやられた。 2005年(平成17年)に、郵政民営化法案に関し、中曽根弘文は反対を表明。この中曽根の行動により、郵政民営化法案は参議院で否決された。ところが、小泉がまさかの衆議院解散(郵政解散)に打って出て、第44回衆議院議員総選挙で歴史的大勝を収めた。
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