富豪・政治家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 03:46 UTC 版)
「ロバート・マクスウェル」の記事における「富豪・政治家」の解説
戦後、マクスウェルは連合軍占領下のベルリンで、イギリス軍司令部の新聞検閲官として働き、後に占領軍当局内で築いた様々な人脈を用いてビジネスを行った。まず科学出版社シュプリンガー・フェアラーク(Springer Verlag、現在のシュプリンガー・サイエンス+ビジネス・メディアの前身)の出版物のイギリスおよびアメリカにおける販売権を得た。1951年にはシュプリンガー・フェアラークから小さな教科書出版社バターワース・シュプリンガー(Butterworth-Springer)を買収し、ペルガモン・プレス・リミテッド(パーガモンプレス、Pergamon Press Limited, PPL, マクスウェル死後の1992年エルゼビアに買収された)とした。当時はマクスウェルの持分が4分の3で、残りはシュプリンガーのイギリスにおける主要人物だったパウル・ロスバウト(Paul Rosbaud, 大戦中は「グリフィン」のコードネームで、兵器開発・原爆研究に関する重要情報をドイツからイギリスへと流すスパイ活動を行っていた)が持っており、ロスバウトは1956年に意見の相違で会社を去るまで共同経営者であった。マクスウェルは学術書や科学誌の出版を開始し、ペルガモン・プレスをイギリス有数の出版社へと育て上げた。 1960年代にはすでに若き富豪となっていた彼は、社会主義の擁護者でもあった。しかし一部ではすでに彼は問題視されてもいた。バークレイズの重役を務めたトーマス・アシュトン卿の訃報によれば、アシュトンがオクスフォードの副支店長だったころ、オクスフォードの住民だったマクスウェルに注目していたが、最終的にはマクスウェルに対する融資を固く断ったという。 1964年には労働党から庶民院議員へ立候補し当選し、1970年に保守党候補に負け議席を失うまでバッキンガム選挙区選出議員となり労働党内で影響力を発揮した。一方でペルガモン・プレスを拠点に次々と出版や情報処理など様々な企業へ買収を仕掛けた。だがアメリカのレアスコ・データ・プロセッシング社(Leasco Data Processing Corporation)に対する1969年の買収交渉の際、自らのグループ企業の利益の大きさについて虚偽の主張を行った件で貿易産業省の取り調べを受け、さらにペルガモン・プレスの株価を上げるためにファミリー企業同士での取引を行っていたことも発覚した。マクスウェルは一時的にペルガモンのイギリス部門での支配を失ったが、アメリカ部門での支配は失っておらず、後に自派の編集者たちの助力で経営権を回復し、最終的にペルガモンを売却した。
※この「富豪・政治家」の解説は、「ロバート・マクスウェル」の解説の一部です。
「富豪・政治家」を含む「ロバート・マクスウェル」の記事については、「ロバート・マクスウェル」の概要を参照ください。
- 富豪・政治家のページへのリンク