富森京蔵通重
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 03:09 UTC 版)
大村藩の真妙流で傑出した人物に富森京蔵通重がいる。 大村藩内西彼杵郡雪之浦の人で幼年より武術を好み、播州の六甲山に上り多年山中修業し神妙の技術の奥旨を悟った。その業速やかで神の如きであったとされる。友人が六甲山に訪れた際、食事のために腰縄を持って深く山中に駆け入り猪を生捕にした。早縄が速やかであったとされる。 山中修業を積み大村藩に帰国する際、兵庫港の海辺に出て大阪より長崎下りの商船の船頭に便船を乞う。船員、山中に住み衣服破れ毛髪伸びた富森の姿を見て狂人と思い、船の綱を解き船を出す。船が陸を離れる時、富森船中に飛び入り船員断るところを強く乞い、「私は六甲山に於いて海上の難を救う神である。この船に危難あることを知った。私を船に乗せなければ必ず危難あるので乗せるべきである。」と言う。船頭はこれを承諾して船に乗せた。 船が周防灘に来た時、海賊が船を襲い船員は捕らえられた。貨物が海賊の船に積み移し奪い取られる時の物音に富森は目を覚まし柔術で海賊を退治した。命乞いをする海賊に貨物を元の通りに船に積み戻すように命じて取り戻し無事長崎に帰国したとされる。この事が長崎代官の聞く所となり、長崎に柔術道場が開かれ教授方嘱託となった。 ある時、武者修行中の剛勇な武術家が来て長崎代官に富森との勝負を申し込んだ。代官は武者修行者の剛勇なる姿に富森との勝負を危ぶみ富森に内意を聞いたところ、勝負に応じることとなった。富森は銃丸(火縄銃で用いる鉛の弾)二個を握り込み勝負に掛かり、暫く前心を守り互いに近寄らなかった。互いに気を満ち肉迫した瞬間、銃丸の一個を爪先に放ち、もう一つを敵の烏兎(眉間)に当て即倒させた。武者修行者は降参して帰ったが、後日返報するため虚無僧の姿に変装して富森の居所に来た。この時、富森食事中だったが頭を左右に振る。妻がその頭を振るのは何事かと問うと、私の後ろの壁に十本の手裏剣が立っているのを見よと言った。武者修行者は富森の神妙の業を見て、即座に無礼を謝し降参して師弟となった。 武者修行者は富森の家に三年止まったが、柔術の奥秘を授けないことに大いに怒り師弟の契約を解き帰ろうとした。富森は三年の労を謝して離別の酒食をなしたが、武者修行者は食膳を抱えながら家の梁に飛び上がった。富森は立ち上がり、武者修行者を梁上より引き落として、この通りと食膳を持って体を梁に背を付けて下に向かい、膳を抱えて武者修行者に対して示した。これを見た武者修行者は降参し、富森より極意の奥旨を授かり礼を述べて帰ったという。 文化頃の人で富森から奥旨を授かった大串亀吉は、業が速やかで壁を横に三間走ることを得意としていた。 富森の門人で奥旨を得た達人に河野又一郎がいる。諸国武者修行して江戸に行き各道場を廻って勝負に勝った。天神真楊流の磯又右衛門にも試合を申し込んだとされる。河野が帰国した後、同門の大串亀吉が河野のもとを訪れて修行中の話を聞いた。大串は何を思ったのか、河野を庭に投げて逃げ帰ろうと考え技を掛けたところ、逆に引き倒されたという。
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