安元御賀日記とは? わかりやすく解説

安元御賀日記

主名称: 安元御賀日記
指定番号 2537
枝番 00
指定年月日 2005.06.09(平成17.06.09)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書
員数 1帖
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  『安元御賀日記』は、平安時代歌人藤原隆房【たかふさ】(一一四八一二〇九)の仮名日記一巻からなる安元二年(一一七六)三月四日から六日にかけて、法住寺殿ほうじゅうじどの】(法皇御所)において行われた後白河法皇一一二七~九二)五〇歳の御賀の様子記している。この賀宴次第については、当日参列していた九条兼実【かねざね】(一一四九一二〇七)の『玉葉ぎょくよう】』などに記されているが、賀宴における舞楽管弦などの華やかな様子伝えるものは『安元御賀日記』のみである。
 本巻体裁綴葉装てつようそう冊子本で、繋文雲母刷【ひしつなぎもんきらずり】の原表紙と、四つ目文【ひしもん】雲母刷の原裏表紙付し外題を「安元御賀日記」と墨書する。本文料紙には楮紙打紙用い、半八ないし九行、一行一四前後にて書写する。外題巻頭奥書には、藤原定家一一六二~一二四一)の筆跡認められるが、巻中は複数人の筆になる。
 内容は、三月四日の暁、後白河法皇法住寺殿御幸した様子記した記述から始められ、以下三日間にわたる行事次第具体的かつ詳細に記されている。父隆季【たかすえ】は当時法皇別当であり、当日の御賀奉行一人任じられていた。それ故行事次第に従って、父隆季と自身行動見聞所感をも叙述している。奥書によれば本書は、隆房が少将のときの仮名日記であり、定家が見及び書留校勘付したのであることが知られる
 『安元御賀日記』の諸本には、定家本系と類従本系二つ存在し一般に流布していたのは類従本系である。類従本系には平家栄誉たたえる文章があるが、定家本系にはその文章見当たらなく、両者の違い平家一門扱い方にある。成立の順については意見分かれるところであるが、定家本は御賀の後、ほどなくとめられたもので、『安元御賀日記』の原形本とも呼ぶべきものであり、その定家本増補改訂して類従本が成立したという見解支持得ている。そのような中で本帖は一部分ながら定家筆跡を残す定家本系の最古写本である。
 本帖は、藤原定家筆跡伝えた『安元御賀日記』の現存最古写本あり、か院政期賀宴詳細記した仮名日記として貴重である。
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