宇井縫蔵と天然記念物指定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 03:11 UTC 版)
「富田川のオオウナギ生息地」の記事における「宇井縫蔵と天然記念物指定」の解説
オオウナギはニホンウナギと異なり、焼いても不味く食用にされることは無かったが、富田川ではその珍しさから前述した鮎川地区でのエピソードのように捕獲されることも多くあった。また、脂質の多いオオウナギの皮は、家を建てる時に柱の下に敷くとシロアリ避けになるため利用されたり、場合によっては肥料にされたりと乱獲が行われた。それにくわえ経年経過による土砂等の堆積によってオオウナギの棲む淵が浅瀬になるなど生息域環境の変化もあり、オオウナギは急速に減少しはじめた。 そのような状況に危機感を持った地元の研究者の宇井縫蔵(ういぬいぞう)は、富田川流域の人々にオオウナギ保護への理解を求める行動を起こした。宇井は1878年(明治11年)に西牟婁郡岩田村(現上富田町)に生まれ、和歌山師範学校を卒業し、和歌山県内の小学校教師を歴任した後、田辺高等女学校(現・和歌山県立田辺中学校・高等学校)教師として在籍中の1921年(大正10年)に、オオウナギの保護活動を始めた。宇井は教師のかたわら魚類や植物の研究を行い、南方熊楠や牧野富太郎とも親交があった人物で、和歌山の魚類を初めて系統立てて分類網羅した『紀州魚譜』の著者でもある。この著書の中で宇井は「近年河床はますます埋まりて、オオウナギなどの棲むべき場所は、年一年と狭まりつつある」と述べている。 宇井は一般の人々に保護を求める一方、県に対しても保護対策を願い出るなど、オオウナギの保護活動に尽力し、このことが大きな原動力となって富田川の一部である、三つ石の淵、濁り淵、蟇(ひき)岩の淵の3か所の淵(現・白浜町)が、オオウナギの生息地として1923年(大正12年)3月7日に国の天然記念物に指定された。しかし、この3か所の淵は互いに隣接した狭い水域であり、オオウナギの保護には不十分であるため、より広い範囲にわたる水域の保護が求められ、1935年(昭和10年)5月15日に、富田川の河口から西牟婁郡栗栖川村と同郡鮎川村の境界(現・田辺市中辺路町と同市鮎川の境界)までの、約18キロメートルの範囲が追加指定された。 宇井が教鞭をとった現・和歌山県立田辺高等学校には、古くからオオウナギの剥製が所蔵されていたがラベル等の記載がなく来歴が不明であった。しかし近年発見された資料によって、1922年(大正11年)に旧大塔村笠松地区で捕獲されたオオウナギが剥製にされ、田辺高等女学校(現・和歌山県立田辺高等学校)へ寄贈されたものであることが判明した。同校に当時在職していた宇井が魚類の専門家として名前が通っていたことから、同校へ剥製が寄贈されたものと考えられている。
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