字体問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 02:43 UTC 版)
明朝体は活字の書体として成立したため、書き文字よりも字体が固定化しやすい傾向がある。様式化のために手書き書体で正統なものとされた楷書との字体の異同が発生した。これに加えて『康熙字典』に発する字体の問題があり、これらが合わさって明朝体の字体を巡る問題は起こっている。 木版印刷や活字による活版印刷における印刷書体として成立した字体は、当時の通用字体又は正字体を反映して様式化されたものであった。例えば、筆押さえは楷書では運筆上で軽く添えるだけのもので、明朝体のような様式化されたものではない。 そのほかにも、くさかんむり(艹)を3画につくる明朝体は、楷書体が原則として4画につくるのと対立した。そして、ぐうのあし(.mw-parser-output .jis2004font{font-family:"源ノ角ゴシック JP Normal","源ノ角ゴシック JP","Source Han Sans Normal","Source Han Sans","NotoSansJP-DemiLight","Noto Sans CJK JP DemiLight","ヒラギノ角ゴ ProN W3","ヒラギノ角ゴ ProN","Hiragino Kaku Gothic ProN","メイリオ",Meiryo,"新ゴ Pr6N R","A-OTF 新ゴ Pr6N R","小塚ゴシック Pr6N M","IPAexゴシック","Takaoゴシック","XANO明朝U32","XANO明朝","和田研中丸ゴシック2004絵文字","和田研中丸ゴシック2004ARIB","和田研中丸ゴシック2004P4","和田研細丸ゴシック2004絵文字","和田研細丸ゴシック2004ARIB","和田研細丸ゴシック2004P4","和田研細丸ゴシックProN",YOzFont04,"IPA Pゴシック","Yu Gothic UI","Meiryo UI","MS Pゴシック";font-feature-settings:"jp04"1}禸)の1画目の始めの位置と2画目の始めの位置が同じである明朝体は、1画目と2画目を左上で交わらせる楷書体と対立した。『康熙字典』において、『説文解字』などに則り新たに定められた正字はこれらとは異なっていた。それまでの「隠」と「隱」のような字画の構成要素の不足で正誤又は正俗字体を区別していたのに加えて、書体の変遷として通用していた「曽」の点画の向きが『説文』の小篆のものと異なるのを問題として「曾」を正字とするなどとなされた。 しかしそれでも一般的な出版においては通用字体が主流のままであったが、中国へ欧米勢力が入り始め、金属鋳造活字の開発を始めたとき、『康熙字典』を参照して漢字活字を製作した。一部において通用字体が使われることもあったが、欠画なども『康熙字典』のままであった。これらの活字技術が従来の技術に取って代わろうとし金属活字の明朝体が日常で見られるものとなったとき、それまでの通用字体・正字体との隔たりが大きな問題となった。例えば楷書体では「吉」の上部は「土」につくり「𠮷」として、「高」は「はしご高(髙)」が多かったが、新たに入ってきた明朝体の字体を理由にこれらが誤りとされるなど、筆記書体に大きな影響を与えた。 筆押さえなどは、字を示す上で必要がないとされることもある。そのため簡体字や正体字ではこれらを楷書風に改めたものが示されている。1946年11月に当用漢字字体表が告示された際、手書きの表であったため筆押さえなどがなかった。したがって、ないのが正しいとして、活字を作り直す業者や、新字体で印刷するのにそれらを不要とする顧客もあった。しかし当用漢字表外の漢字や、一部活字業者では筆押さえなどは残されたままであった。教育などでは正しい字体の指導上問題になるとして明朝体を使用しなかったり、使用したとしても「印」や「収」などの折れ曲がりの部分、しんにょうが楷書と異なるとして特別に変えたりした。 ただし、常用漢字などでは、このような筆押さえ等の形状に加え、点画の付くか離れるかや長短などという細かい差異を「デザイン差」と呼び、専ら統一などするまでもない「差」として、統一は強制でないとしている。日本産業規格(JIS)などでもそれに従うが、教育や書体の開発の場において省みられることは少ない。
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